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Channel: 烏は歌う(はてなダイアリー跡地)
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[ボイトレ][声質の改善]「喉に良い」飲み物・食べ物を考える上で。

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よく質問されたり、明らかに間違った習慣をもっている人にツッコみたくなるのですが、この話。



「どのような状態で」「何のために」「どのような作用で効くのか」による


どんな飴がいいだの悪いだの、どんな飲み物・食べ物がいいだの悪いだの、色々なことが言われていますが、

「どのような状態で」

喉にいいのか悪いのか、という話をしないといけないのですね。

そこの前提条件を飛ばして話してしまうと、色々大変。


例えば、「喉に皮膜を張る」「栄養を補給する」系の、油脂類・糖類を多く含むもの。

乳製品とか、はちみつだとか、オリーブオイルとか、果物とか、あんまりスースーしないのど飴とかね。

こういうのは、「しばらく声を出さずに喉を休めたいとき」には非常に良いのですが、「実際に声を使う真っ最中」に摂ってしまうと、喉の粘膜の粘度が高くなりすぎて、タンが絡んだりむせ返ったりしやすくなりますよね。

なので、「喉に良い時」と「喉に悪い時」があります。

考えてみれば当たり前なんだけど、「これが喉にいいよ!」「これは喉に悪いらしいよ!」みたいなマジックワードを前にすると、思考停止してしまいがちなので、たまに注意が必要です。


あと、果物やはちみつは「粘膜の健康の維持のために必要な栄養素」を含んでいることが多いので日常的に食べたいものですが、(特に花粉症の人などは)とにかく「喉のかぶれ」を引き起こしやすい地雷食品でもあるわけで、歌の練習の前後など、これからすぐにたくさん声を使う時や喉が疲れてる時には、あんまり食べない方がいいかも。


他にも、

「喉の血行を良くする系食品(生姜湯、アルコール、辛いもの、熱湯など)」

→喉の血行を良くし、ほどよくリラックスさせてくれるかも

→血行が良くなりすぎて、喉の「乾き」や「ハレ」や「炎症」の原因になってしまうかも


「喉の炎症を抑える系食品(すっきり系のど飴、烏龍茶や緑茶、冷水など)」

→喉の血行の行き過ぎを抑え、「ハレ」や「炎症」を解消できるかも

→喉の粘膜を保護する水分や油分を失ってしまったり、せっかく温まった喉を準備運動前に戻してしまうかも


という感じで、

「どのような作用で効くのか」

をしっかり考えた上で、

「どんなときに使えば、ベストな効果が出るのか」

を考えないといけない。



声をたくさん使うときは


基本的に、この辺を気にしだすと、「ぬるい水」くらいしか飲めなくなります。

どのくらい厳密に気にするかは、自己判断でお願いします。


とりあえず喉が「乾燥」した状態で声を出すというのは非常に危険なので、「たくさん声を使うとき」や「喉が荒れて大変なとき」には、「喉に良い」と言われているものでも避けた方がいいかもしれないし、それらを摂った場合には「いつもよりたくさんの、常温に近い水を飲む」というのを心がけた方がいいですね。

※もちろん水の摂取量にも限度はあるので注意。


よく、のど飴を口に入れながら練習したりする人をアマチュア合唱界隈ではよく見たりするんだけど、「飴やガムは乾いているんだから、歌う前後に口にしてはいけない」とまで言うボイストレーナーもいたりするのは知っておいてもいいかもね。


[雑記]落ち着いた頃に「くおえうえーーーるえうおおおwww」について書く。

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日記。


私はそれほど声優について詳しいわけではないのだが、「丹下桜」という名前は知っていたのである。

しかも、決して忘れられないであろうほどの強い印象を持って。


その原因は、とあるウェブページである。

なぜこのページをブクマしたのか詳細は忘れてしまったが、とにかく「これはとりあえずブクマしなくてはならない」と瞬時に思ったことだけは憶えている。


丹下桜様のお声の破壊力に迫る Sakura-Sama's Voice


今じゃそうそう見ることができない、まさに「これぞ古き良きテキストサイト」という感じの構成。

…関係ないけど、infoseekの無料ホームページサービスの終了からもう数年経っていることに今更しみじみ。

そして、冷静な分析口調で解説される「はにゃーん」「ほぇぇぇ」。

丹下桜の声の破壊力もすごいが、このページの破壊力もなかなかですがな。


そんなこんなで、忘れられない名前となっていた「丹下桜」が正月に再ブーム(第何次ブームなのだろう)になっていて、非常に面白かった。



非常に印象に残っているツイート。




ガジェット通信の記事も面白かった。


『ガールフレンド(仮)』のクロエ・ルメール役で再ブレイクした丹下桜さんは芸歴20年のベテラン声優 – ガジェット通信


2005年頃からはゲームやドラマCDなどで断続的に声優業を再開しますが、本格的なカムバックと言えるのは2009年に発売された『ラブプラス』の小早川凛子役です。開発時にかつて彼女が所属していた事務所のキャスティング担当者が発した「本気で売るつもりなら丹下桜を連れて来る」の一言が異例の起用につながったというエピソードは、それ以上は何も補足する必要が無いぐらい彼女の声と演技が評価されているからに他ならないと言えるでしょう(参考‥学研パブリッシング『メガミマガジンクリエイターズ』Vol.18、26ページ)。


「本気で売るつもりなら丹下桜を連れて来る」


…なにそれかっこいい。



・追記


ちょっと感動した。

D

[ボイトレ][メンタル]「モチベーション」について学びたいなら。

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なんか3年も前の記事が突然Twitterで出回りまくっててびっくり。


モチベーションを下げる罠、「アンダーマイニング効果」にご注意。 - 烏は歌う


なんだかPixivやニコニコなどの創作クラスタにとって「アンダーマイニング効果」の話というのはすごく「刺さる」話だったみたいで、かつてない感じに拡散されております。


アンダーマイニング効果とは、要するに

「外発的モチベーション(飴と鞭)に頼って行動すると、内発的モチベーションがいつのまにか減退してしまうことがある」

という話でした。

単なる「あるある」な現象なんですが、こうやって「名前」を与えられると、


・名前を与えられることによって、今までモヤモヤと感じていたものをハッキリと認識できる


・名前を与えられることによって、「自分だけの悩み」が「一般化」されて他人と共有できたり、学問的な解決法を探ったり、「自分だけじゃなかったんだ」と安心したりできる


…などといういいことがありますね。


なので、「モチベーション」というものについて考えるとき、「精神論」として気合や根性でなんとかしようとするのではなく、ちょっとでいいから「心理学」というものを勉強してみるのもいいんじゃないかなと思います。



過去記事の元ネタは


過去に「アンダーマイニング効果」のような心理効果について何度か書いてきましたが、元ネタはいずれも「教育心理学」のテキストです。


「教育心理学」ってのは、勉強してみると非常に面白いですよー。

他人に「なにかを教える」時には必修と言える学問ですし、それだけじゃなく、自分自身に対して「自己教育」を行うために教育に関する心理学ってのは本当に役立ちます。

知らなくてもすごいやつはいるが、最後は知ってるやつのほうが強い、という類の知識。


本当に概論レベルだと、こういうページを流し読みするだけでもけっこうな発見があったりします。


教育心理学


例えば、「アンダーマイニング効果」はじめ「モチベーション」関連の知識はこの辺。


動機付けの基礎:教育心理学


生徒の認識と動機づけの関係:教育心理学


名前を知ったら、あとはさらにググればそれなりに詳しく知ることができるかと。


その他、「モチベーションの管理」だけでなく、「効率のよいレベルアップの方法」についても、ヒントになることが「教育心理学」にはあると思いますので、興味があったら本でも1冊買ってみるといいと思うなー。



過去に書いた「教育心理学」関連の記事の紹介


順調に成長してたのに、急に「伸び悩み」が!でも焦る必要はありません…「プラトー現象」 - 烏は歌う


記憶の定着は、学習より少し後に起こる…「レミニセンス現象」 - 烏は歌う


記憶力にも「中だるみ」がある!?…「初頭効果と終末効果」 - 烏は歌う


「飴と鞭」による学習や「スパルタ式教育法」が、よく効くとき・効かないとき…「ヤーキーズ・ドットソンの法則」 - 烏は歌う


「経験」を活かして効率良く学習するために…「学習の転移」 - 烏は歌う


モチベーションを下げる罠、「アンダーマイニング効果」にご注意。 - 烏は歌う


自ら可能性を閉ざしてしまう心理の動き…セルフハンディキャッピング。 - 烏は歌う


モチベーションと「成功率」について。あるいは適度な「チャレンジ」の重要性について。 - 烏は歌う

[ボイトレ][メンタル]練習のやり方や順序について。「全習法」と「分習法」など。

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全習法か分習法か


学習や練習において、自分にとって今必要なのが「全習法」なのか「分習法」なのかを意識すると、効率が上がるときがあります。


「全習法」というのは、課題をひとまとまりのものとして、最初から最後まで通して練習するという方法ですね。

対して「分習法」というのは、課題を幾つかの部分に分けて、一つずつクリアしていく練習法になります。


課題曲の練習、という例で考えると…

・とにかく頭から最後まで通して練習する→「全習法」

・幾つかの部分に分けて練習する→「分習法」

という感じになります。


「全習法」のメリットは、(課題をやり通せる実力があるなら)効率がよいこと、効果が高いことです。

また、「体系的」な考え方を身につけるのにも、「全習法」は有効なやり方になります。

デメリットとしては、どうしても「一区切り」に辿り着くまでの時間がかかってしまうので非常に疲労感が溜まりやすかったり、「評価」の回数が少ないのでモチベーションを保ちにくかったり「達成度」や「つまづきポイント」の確認がしにくい、などという問題があります。

さらに、やる人のレベルが十分でないと、ただ「わからないまま時間が過ぎる」状態になってしまやすいので、そういう点にも注意が必要。


「分習法」のメリットは、時間がかかるけれど確実に一歩一歩学べるため、難しい課題や新しい課題に対しても効果を出しやすいことです。

また、「明らかな弱点を克服する」ためや、「欠けている基礎的能力を補う」ためにも効果的な方法です。

デメリットは、「分習法」で学んだパートを最終的に全体として統合できないと、「実践性に欠けた練習」になってしまいがちなことです。

そうなってしまわないよう、つねに「体系的知識・視野」や「計画性」を頭に置いておかないといけません。


どちらが向いているのかは、練習する人のレベル・課題のレベルによって時々変化しますので、そこをしっかりおさえておかないと、効果的な練習はしにくいですね。

また、どっちにしても「同じ方法ばかりやっていると」モチベーションは下がりやすいので、注意が必要。

「全習法」と「分習法」のどちらか片方だけに偏るのではなく、適度に混ぜてバランスさせていくのが重要です。



混ぜ方の一例、「スイッチフルバック」


「全習法」と「分習法」の混ぜ方の一例としては、例えばこんな方法があります。


「急がばまわれ」で復習を効率化する「スイッチフルバック」復習法 - 感謝のプログラミング 10000時間

スイッチフルバックとは、昨日は1ページ目から10ページ目をやったら、明日は1ページ目から20ページ目をやる。

明後日は、1ページ目から30ページをやる・・・というように、いちいち最初から全部復習する、という方法だ。

これをやると、いつまでも先に進まないように考えがちだが、全然そんなことはない。

復習するたびに、「1ページを読むためにかかる時間」が短くなるからだ。

何回も繰り返しているうちに、5秒くらい目を通せば全ページの内容が頭にフラッシュバックするようになる。

「思い出す」という過程が、復習になる。

そうやって、一回一回切り返して最初に戻って復習することから、「スイッチフルバック」と名付けられた。


「分習法」を繰り返しながら、「昨日までにやった部分の復習」+「今日やった部分の復習」という風に反復学習する範囲を増やしていき、徐々に「全習法」に近づけていく方法ですね。

こういう名前や具体的なやり方を知らなくても、「あ、なんかこれやったことあるかも!」と思った人もいるかも。

ただ、仕組みや「意識して」やるかどうかによって、けっこう違います。

…知らないでやると、途中で不安になってやめちゃったり、微妙に間違ったやり方でやっちゃったりしちゃうからね。


基本的に記憶を定着させる(知識的な意味でも、歌のような運動記憶的な意味でも)ためには、基本的には「反復」しかありません。


「記憶」の仕組みを知って効率よく学習したい…その4、長期記憶を「想起」しやすく保つために - 烏は歌う


ひたすら反復するうちに、記憶が「勝手に想起される状態」になってくるわけでして。

「復習」になるだけでなく、ちゃんと「教科書」「学習する順番」が正しければ、

「これから学ぶ内容も、自然と簡単に頭に入る(情報が想起されすい状態で記憶される)ようになっていく」

という「予習」効果すら出てくるのが「スイッチバック」のすごいところなんですよね。


…「スイッチバックをやると最初の方ばっかりおぼえてしまって、後半がボロボロになる」みたいな感想をもつ人もいるみたいだけど、それって

・明らかに途中でやめてしまった

・過去の学習分が十分に定着する前に、先に進みすぎている

・「教科書」が体系性に欠けていて、先に学んだことが後に生かされる形になってない

とかそんな「間違った学習法」状態になっていたのでは、と。



「後ろから」やってみるのもあり


ただまあ、別に学ぶ内容に「体系性」とかがない場合は、あえて「最初から」やる必要がない、という場合も非常に多いです。

例えば、こんなやり方。


山枡信明(@nobuyamamasu)/2013年05月04日 - Twilog



このツイートからはじまる、とある声楽家さんの連ツイですが、「逆行スイッチバック」とでも言うべき方法を提案されていますね。

…音楽の練習、特に「実践的」で「体系的・学問的ではない」内容を学ぶときには、このやり方は非常に有効かもしれません。


この方法だと、初期の「分習法」段階でモチベーションが落ちる理由になりやすい、

「この練習を続けると、最終的にどうなるか、わからん」

という問題が発生しにくいのも非常に重要なポイントです。

後ろからやれば、その練習の「出口」が見えてるわけで、精神的に楽になることも多いでしょうね。



バラバラにするのもあり


あとは、あえて反復練習する順番を崩して、バラバラにやってみる方法もあります。

これは、「単純」「簡単」な内容を一気に大量に記憶(いわゆる丸暗記)するのに向いています。

体系的な能力や、学問的な考え方、複雑なコンビネーションスキルを習得するのには全く向きません。


記憶力にも「中だるみ」がある!?…「初頭効果と終末効果」 - 烏は歌う

人間の脳というのは、「順番に記憶していく」時に、「最初の方」と「最後の方」を特に記憶しやすい、という特徴があります。

その、最初の方を記憶しやすいという性質を「初頭効果」、最後の方を記憶しやすいという性質を「終末効果」と言います。

・順番をあえてバラバラにして、組み替えてみる

いつも同じ順番で同じ内容を反復学習しようとすると、初頭効果と終末効果によってその順番の「最初」と「最後」ばっかり記憶してしまいやすいです。

なので、ときどき意識して、その順番を組み替えることで、初頭効果・終末効果が起きる場所を変えてみましょう。

記憶に残りにくい「真ん中」部分をあえて最初にもってきて初頭効果で憶えたり、最後に「真ん中」部分だけをあえて取り出して復習することで終末効果を起こしたり。

[ボイトレ][発音・滑舌]合唱やってるとしょっちゅう話題になる「い」母音の攻略法。

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POPSを歌う場合でも、朗読や芝居でも、これを知っておくとそれなりに役に立つこともあったりなかったりします。


・何故、話題になるのか

→「い」母音は非常に「粗が出やすい」母音だから


・どのようにすれば改善できるか

→「舌の高くなる場所」を少し奥の方に持っていく、舌の前端は下げる


・合唱の人がやりがちな失敗はどのような例があるか

→「舌の位置」を考えずに、口の開き(下顎や唇の開きなど)だけで対応しようとしてしまう



何故、話題になるのか


「い」母音というものを、過去に何度か紹介した「IPA(国際音声記号)」というもので見てみますと…

f:id:wander1985:20120428203755j:image

(図は佐藤賢太郎氏のサイトより引用)


「口腔の一部を舌で狭める」ことで口腔内の共鳴の様子を変えることによって「母音の違い」というものが生まれますが、「どのあたりをどの程度狭めたら、どの母音が出るか」をマッピングしたのがこの図になります。


例の「い」母音について見てみると、あらゆる母音の中で最も「前舌母音」(舌のFrontが上がる母音)かつ「狭い母音」(上顎と下顎、舌と口蓋の距離がCloseな母音)ということになります。


で、この「前舌母音(舌の前部分が上がる母音)」というのは、喉仏を上げてしまいやすい母音なのです。

特に、「舌先が大きく上がってしまう」と、非常に喉仏が上がってしまいやすいです。

喉仏が上がってしまうと、「とにかくクラシックっぽくない発声」になりがちなので、合唱ではどうしても避けたいところ。

また、喉仏が上がってしまうと、声帯のまわりの筋肉のバランスが崩れてしまうので、合唱とかクラシック云々を抜きにしてもあまりよろしい状態ではありません。


また、「共鳴腔が狭くなる」というのも、クラシックっぽくなくなる原因になりえますね。


ただし、ある程度は舌の前側を上げて共鳴腔を狭めないと「い」母音に聞こえませんので、程度問題な部分はあります。

共鳴腔の広さについても、「いつ何時も広い方がいい」わけではなく、低音なら広いほうがいいけど、一定以上の高音だとある程度狭くても問題ない場合もありますしね。

高音域で無理に共鳴腔を広げるのは「絶叫」状態を引き起こしかねないので、あまりお勧めはしません(後述します)。



どのようにすれば改善できるか


「前舌母音」で、「狭い母音」だから、粗がでやすい。

なので、

・舌の盛り上がる位置をやや後ろ気味に

・舌と口蓋の感覚をやや広めに

すればいいわけです。


ただ、やりすぎると「い」じゃなくなっちゃうので、あくまで「適度に」やるのがポイントです。


図で説明すると、いわゆる「ダメな『い』母音」はこうなってます。

f:id:wander1985:20140220175054j:image

見ての通り、

「舌先が大きく上がってしまう」

「上顎と下顎が近すぎて、とても狭い響きになる」

という問題が生じます。


なので、こんな感じにしてやりましょう。

f:id:wander1985:20140220175055j:image

※あくまでイメージなので極端に描いてるけど、正しい比率で描くともう少し上の図に近い状態になるとは思います。

※実際の位置関係や距離感は、実際に声を出しながら調整してね!


・口(上顎と下顎の距離)はキツくならない程度に軽く開く


・舌の先端は下の前歯に触れるくらいの状態で「舌の先端よりは少し後ろの部分」を上げて、口腔の前の方の空間を狭める


くらいにしてやると、「い」母音特有の問題が解決しやすいです。

もちろん、やりすぎると「え」になってしまうので、バランスを見ながら適度にやりましょう。

ただ、

「舌先は、基本的に下の前歯につけておく」

「舌先は不用意に浮かさない」

「子音の関係で舌先を浮かせた場合も、母音を鳴らす段階ですぐ下に戻す」

あたりを意識しておくといいでしょうね。



合唱の人がやりがちな失敗はどのような例があるか


アマチュア合唱の人は、けっこう

「口腔を、舌で狭めることによって母音が変わる」

「舌で狭めた空間の、位置や広さによって母音が変わる」

…ということを知らないことが多いです。


で、それを知らない人がどういう失敗をするかというと、


口を縦に開かなきゃ!!

→「舌先が上がったまま、下顎だけ無理に下ろしてしまう」

→→「下顎を下げたことによって、さらに変な力が入りやすくなり『絶叫』っぽさが増す」


口を縦に開かなきゃ!!

→「舌先が上がったまま、唇だけを無理に縦長に開いてしまう」

→→「喉頭が上がる現象の根本的な解決になってしまうし、母音も歪んで余計に汚くなってしまう」


口を縦に開かなきゃ!!

→「舌先が上がったまま、舌の奥の方を無理に下げようとしてしまう」

→→「喉頭を上げようとする力と下げようとする力が同時に入ってしまい、最悪の力み方になって苦しい」

…ってパターンが多い。


母音を考える上で「肝」になるのは「舌の位置」です。

これはおぼえておきましょう。

アマチュア合唱界隈では発声に問題を感じたときに「口を縦に開け!」しか言えない人がいたりしますが、それだとなかなか解決しない。

[ボイトレ][発音・滑舌]滑らかに歌うための、母音トレーニング法。

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前回は「い」母音だけを取り出して書きましたが、その続き的な。


合唱やってるとしょっちゅう話題になる「い」母音の攻略法。 - 烏は歌う



理屈・できるだけ、母音の変化にともなう「動き」は抑えたい


前回は「舌の位置や口の開き具合によって、声の響きや、喉への力の入り具合が全然違うよ!」というお話でした。

で、その中でも最も問題になりやすい「い」母音を例に、どんな問題が起こりやすく、どのようにすると改善できるのかを書いてみました。


で、「母音」というものについて考えてみると、

「とにかく、しっかり口を動かして!!」

みたいな指導が蔓延してるわけなんですが、これけっこう危険。


と、言うのも、母音を出す際には

「舌の位置や口の開き具合によって、声の響きや、喉への力の入り具合が全然違うよ!」

という現象が起こるために、

・母音をはっきり発音しようと「口を動かしすぎてしまう」

→それにともなって、声の響きや、喉への力の入り具合が極端に変わってしまう

→母音の変化に応じて音量や音程が不自然にガタガタ変わってしまう、響きや音の雰囲気が変わりすぎてしまって逆に言葉にならない

みたいなデメリットが発生しがちだから。


歌を歌いながら「口を大きく動かす」なんてやると、楽器で言うと「チューニング」の役割を担う筋肉が口に連動してグイグイ動いてしまって、音感とか以前の問題で音痴になってしまうことがあったりします。

あとは、舌の位置・形を母音ごとに明らかに変えすぎてしまうと、一文字ごとに声が明るくなったり暗くなったり、強くなったり弱くなったり、高くなったり低くなったり、ハスキーになったりエッジーになったりしてしまいがち。

そうなると、ちょっと不快で、言葉も伝わらなくなってしまいますね。


なので、「基本的には」あまり口を動かさずに母音を出し分けられるといいですね。

必要最低限の動きは必要ですが、必要最低限で済ますと、色々なデメリットが出にくいです。


もちろん、「はっきり口を動かす」メソッドが有効だったり必要となる場合もありますので、そっちはそっちで対応しましょう。



実践・舌先を下の歯の付け根につけたまま、舌の状態を気にしながら「い→え→あ→お→う」


前回、「舌先を下の歯の付け根につけたまま『い』母音を出す」という方法を紹介しましたが、その応用です。

舌先を下の歯の付け根につけたまま、舌の状態を気にしながら、「い→え→あ→お→う」「う→お→あ→え→い」と母音を変化させていきます。


詳しく書くと、


・「い」母音は、舌先を下の前歯の付け根につけて、舌の真ん中あたりを軽く上げて、ほんの少しだけ前に押し出すつもりで発声します。

 この後に母音を変化させていく都合上、いつもの「い」より大きめに口を開く(下顎を下ろし、縦に大きめに口を開ける)といいでしょう。


・そのまま、「舌の最も高い位置(真ん中辺り)」を軽く後ろに引くと「え」母音になるはずです。

 やっぱり、下あごや舌先が動かないように注意しましょう。 


・さらに「舌の最も高い位置」をできる限り後ろに引いていくと、「あ」母音になるはずです。

 このとき、下あごや舌先が動かないように注意しましょう。


・「あ」母音の状態から、舌も顎も動かさずに、唇だけをすぼめていくと「あ」→「お」→「う」という風に変化します。


・ここまでできたら、今までの逆の手順で「う→お→あ→え→い」と戻って行きましょう。


…このトレーニングを何往復もやっていると、ほとんど口(というか顎と舌先)を動かさずに、発声のために大切な筋肉を変に力ませることなく、全ての母音を出し分けられるようになります。


慣れてきたら、連続的な変化ではなく、適当な母音だけを単音で出してみて、それでも舌先が下の歯の付け根から動かないかとかやってみましょう。

他にも、「Ra」のような「舌先が上顎につく」子音→母音という発音をしてみて、母音のときにちゃんと舌先が所定の位置に戻ってくるか確認するのもいいでしょう。

[ボイトレ][発音・滑舌]小ネタ、「ロリ声」「ショタ声」の出し方。

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あ、今日は4月1日ですがエイプリルフール企画ではない。

ネタエントリではあるが、だいぶマジメに書いている。


まずは記事に全然関係ない近況について。

最近「ダークソウル2」ばっかりやってて、パソコンを触らない日もある始末でございます。

よってブログやブクマその他の活動がかなり滞ってますが、僕は元気です。

過去にダクソやってて書いた記事がこちら。


ただ経験値を貯めこんでも意味がないよね、という話。 - 烏は歌う



舌の位置や口の開き具合によって、声の響きや、喉への力の入り具合が全然違うよ!


はい、お題の方に話を戻しまして。

前回の記事では「舌の位置や口の開き具合によって、声の響きや、喉への力の入り具合が全然違うよ!」という話をしてきました。


で、前々回の記事では特に「い」母音をサンプルにして、声の響きや喉への力の入り具合を考えると、完全に「前舌母音」かつ「狭い母音」にしてしまうと「クラシックっぽくない」というか「大人っぽくない」声になってしまうということを書きました。



あえて「前舌母音」「狭い母音」で出すトレーニング


しかし、いついかなるときも「前舌母音」かつ「狭い母音」がダメなわけではないのです。


「前舌母音」は、

・声帯を無理に閉めようとする力が入ってしまいやすい

というデメリットがありますが、言い換えれば

・声帯を閉じる力を入れやすい

とも言えるわけで、「声量の無い声」だとか「息漏れの激しい声」だとかの改善のために、一時的にあえて「前舌母音」で発声練習をしてもらい、しっかり声帯を閉じて声を出すことに慣れるという練習法があります。


また同様に「狭い母音」は、

・声質が軽くなりがちで、裏返ったりキンキンした声になってしまいやすい

というデメリットがありますが、言い換えれば

・「太すぎる声」や「高音域で地声を引っ張りすぎる癖」の改善に使える

というメリットがあるわけです。



「ロリ声」トレーニング


と、言うわけで、「舌」を「上の前歯の付け根」あたりにつけて喋ってみましょう。

前々回の、「い」母音をクラシックっぽくするトレーニングと真逆ですね。

…なんとも言えない、子どものような、甘えたような、芸能人でいうと「芹那」のような声質&滑舌になるんじゃないかと思います。

ちょっと声の高さを高めにするとなおよし。


これをときどき所属する合唱団でやってもらうことにしてるんですが、

・「立派な声」を出そうとしすぎて力んでしまう部分のリラックス

を狙ってやってます。

「前舌母音」も「後舌母音」も、「狭い母音」も「広い母音」も両方練習して、最適なバランスを取ることがとても大切なんです。

が、どうしても半端に発声に詳しくなると、声を「深く」作ろうとしすぎてしまって、バランスが崩れてしまうことが(特にアマチュア声楽界隈では)非常に多いんですな。

で、いわゆる「ポテト・サウンド」だの「クネーデル」だの言われる声になってしまう、という定番の流れ。


なので、ときどき「ふざけ半分で」(←これ重要)こういうトレーニングをしてもらうことがあります。

「リラックス」と「笑い」を呼ぶユーモアある練習をときどき取り入れないと、ボイストレーニングってダレるから、そういう意味でもよくやる。


あとは、逆にもともと「芹那っぽい」発声の人には、

「君の声の特徴を強調するとこんな感じになるよ!!」

というのを実感してもらうために、これをやったりする。

(厳しく追求するとアレなんで、信頼関係を見極めつつ、あくまでソフトにやろうね。色々と指摘するのはいいけど、「バカにする」のはNG。)

で、舌を「上」の前歯につけて喋るのと、「下」の前歯の付け根につけて喋るのと、交互にやってもらって比べてみたりしてね。


あとはまあ表現力のレパートリーを増やすというか「飛び道具」を増やすというか。

いつ使うのかはわからないけど。

[ボイトレ][メンタル]教えたり、教えられたりするときに大切なのは、「価値観」を伝える・理解すること。

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さて、4月です。もう終わりそうですが。

春は出会いと別れの季節ということで、新しい先生と出会ったり、あるいは何らかの事情で「先生」と呼ばれる立場になってしまった人も多いのではないかと思います。

そんな時期なので、私のはてなブックマークの中から、「教えたり、教えられたりするときに大切なこと」を掘り返しつつ思い出そうという日記。


4つほど、ブクマしといてよかったなあ、という記事がありましたので、それを紹介します。




まずはこの記事。


「盗んで覚えろ」では部下が育たない理由 「褒める」とは、どういうことか|ハーバードの「ベストティチャー」が教える 自信は「この瞬間」に生まれる|ダイヤモンド・オンライン

普通に経験を通して身につけようとしたら何十年、何百年とかかることを数ヵ月、数年で圧縮して伝える。これが教育です。

人を育てる時に一番大切なのは「褒めること」です。たとえば、部下が仕上げてきた仕事が自分の理想からほど遠いものであっても、片目をつぶりましょう。自分が求めている方向に一番近い部分を、まずは褒めてやる。


 それを繰り返していくと、最初は5割くらいの出来だったものが5割5分になり、最終的には7〜8割くらいの出来になっていきます。


 褒める時に気をつけたいのは、具体的に褒めること。ただ「いいね」「やるじゃん」と言うだけではダメ。なぜなら、褒めるとは、価値観を伝えることだからです。


 具体的に褒めることで、相手に「こちらの方向で合っているよ」「その部分を伸ばせばいいんだよ」というメッセージが伝わるのです。つまり、教える側と教えられる側で一つの価値観が共有される。逆に価値観が共有されていない状態では、育てられる側は何をどうしていいのかわかりません。


 また、否定では価値観が伝わりません。「これじゃ、ダメ」と言われたところで、次にどうすればいいのかわからないのです。


「普通に経験を通して身につけようとしたら何十年、何百年とかかることを数ヵ月、数年で圧縮して伝える。これが教育です。」

この言葉は非常に大切ですね。

確かに「長い時間の経験を積まないと理解できないこと」というのはあるのですが、それだけでは「人類の進歩」というものはあり得なかったわけで。


で、実際にフェイス・トゥ・フェイスな状況で「だれかに教える」という状況だと、「理論」「メソッド」をただ詰め込むだけじゃなく、そういったものを「正しく使えているか見届ける」だとか、「正しく使えるよう誘導する」ことが必要になってくるわけです。

どのような行動・考え方・理論…を、どのような状況で使っていけばいいのか、その「価値観」を共有することが大切になります。


そのために最適なツールが「褒めること」です。

具体的に褒めることで、何が正しい方向なのか伝えていくことで、価値観を共有するのが大切です。

あれはダメ、これもダメ…という教え方では、「じゃあどうすればいいんだよ!」となってしまいますからね。やる気もなくなってしまいますし。

また、じゃあ具体的に叱ればいいのではないか、と思ってしまう(よくやってしまう)のですが、

「どうして○○しないの!?」

というのは指導ではなく詰問です。そのつもりがなくても、そうなってしまいます。


教える側としては「何をどう褒めるか」が非常に大切ですし、教わる側としては「先生が何を求めていて、どのような価値観を持っているのか」を感じ取っていくことが大切ですね。




1のような内容を、教わる立場から考えるとどういうことが大切か。


指導の裏ではなく理屈を理解する - 発声練習

「指導の理屈を理解する」というと「言外の意味を読み取れ/文脈を読め」と勘違いする方もいますが、そうではなく、なぜ、そのような指摘/質問が出るに至ったのかの考え方を理解するということです。

素朴に「先生/先輩のご指摘は理解できるのですが、なぜ、そうお考えなのかがわかりません。ご説明いただけますか?」と尋ねれば良いです。大学の教員で研究室を持っているならば、だいたいの方が説明してくれると思います(もちろん、「〜の本を読んで自分で勉強しろ!」というのも立派な説明です)。トラブルシューティングや試行錯誤の状態であっても、考え方を尋ねるのは有用です。先輩や教員は何かしらの経験に基づいたそれなりに効率の良い考え方ややり方を持っているはずです。


具体的には以下の点に注意して考え方を追ってください。


・何を基準として「良い」「悪い」と判断しているのか?

・その基準がどうして適切なのか?

・その基準において「良い」もの/状態を得るためのやり方はなにか?


自分が失敗したときや間違ったときに説教されるのは誰もが嫌いなことですが、「なぜ、そのように説教されるのか」という理屈に着目して聞くならば、それは自分にとってプラスになります。それが理不尽な説教であったとしても、「理屈が通らない説教というのはこういうものか」という悪い例として利用できます。


「価値観の共有」が上手くいかないときに、教わる側がすべきことについて。

褒められるとただ舞い上がってみたり、叱られてはただ「なんとかその場をやり過ごす」ことばかり考えてしまったりしがちな私たちですが、大切なのは、それを通してどんな「価値観」を伝えたいかを読み取ることなんですよね。


教える方も人間なので、完璧ということはあり得ないので、どうしてもなかなか「価値観」を伝えきれないことが多いんですよね。

なので、教わる側も「価値観の共有」に努めると、非常に効率よく多くのことを学ぶことができます。

…そして、いい生徒は、このプロセスを通して教師を「逆教育」する。教える側に立つときは、これを意識しとくといいです。




では何故、「価値観の共有」が上手くいかないのか。

教える側の「あるある」はこんな感じ。


「教える経験の少ない人」が、他人に何かを教えるときに、ついつい、陥ってしまう3つの罠(中原淳) - 個人 - Yahoo!ニュース

「教えること」にあまり経験のない人が、他人に何かを教えなければならないときに、最も陥りやすい罠は、「詰め込み」「バラバラ」「一方向」の3つです。

この3つは独立なようでいて、実は、相互に密接に関連しています。

最大の問題は、

「限られた時間の中で、私は、あなたに、"何"を、最も伝えなければならないのか?」

この問いに対する答えが、見出し切れていないということです。

「もったいない」「あとですね・・・」「話を元に戻しますと」が脳裏に浮かんだら、要注意かもしれませんよ。


要するに、

「伝えたいことをしっかり絞って、あとは全部捨てるくらいでないといけない」

ということですね。

何かを教える立場に立つときは、こういった心持ちでいかないとまず「何言ってんだかわからない人」になってしまいますし、教わる立場に立つときには、相手が教えたい「軸」「価値観」をしっかり追っていく必要がありますね。




それと同じくらい大切なのは、「その価値観、本当に正しいの?」というところをしっかり考えること。

いくら「価値観」がしっかり軸の通ったものでも、その軸が間違ってたらしょうもないので。


大学の体育の授業で学んだ、人の自発的な育て方 : タイム・コンサルタントの日誌から

このトレーニング・クラスは、わたしがそれまで受けた中で別格、いや、次元が違うくらい、まともな体育の授業だった。まず、教師の説明が科学的だった。トレーニングの内容は、小さなダンベル(重量がkgで表示されている)をつかったウェイト・トレーニングに始まり、ついで全身を使うサーキット・トレーニングが加わる。学生は各人、硬い紙のスコアカードが渡される。それに毎回、自分のスコアを記録して行く。たとえば右手にダンベルを持ち、右肩の上において、肘を伸ばして持ち上げる。その単純な、要素的な運動を、何回やれるか記入していく。


教師のインストラクションは、こうだった。「もし君らが、8回未満しかその運動ができなかったら、それは負荷が重すぎるのだ。そのときは、1kg軽いウェイトを使え。また、逆に16回以上その運動ができた場合、負荷が軽すぎる。だから1kg重いウェイトを次回はトライすること。重すぎるウェイトで無理を続けてりしてはいけない。それは筋肉にむしろ障害を与える。軽すぎる負荷では、もちろん筋力の向上にはつながらない。」 そしてまた、こうも言った。「こうしたトレーニングのための運動は、週1回では足りないことが統計で明らかになっている。7日たつと、獲得された筋力がもとに戻ってしまうのだ。週2回やれば、筋力は維持される。だから本校の体育の授業は教養過程の間、週2回に設定している。」


そして極め付けは、これだった。「諸君は別に他人と比べる必要はない。各人の運動能力はそれぞれ別で、個性があるのだ。だから、過去の自分とだけ比較して、向上を確認すればいい。」

実際、毎週同じトレーニングを続けて行くうちに、少しずつだが自分のスコアは着実に上がって行った。それは、とても喜ばしいことだった。自分にも運動面で向上する余地が、あるいは可能性があるのだ。トレーニング内容は少しずつ組み合わせで複雑になって行ったが、プログラムが緻密に設計されているため、ついて行くことができた。何より、他人と比較されて、劣等感を感じずに済んだ。それは、生まれてはじめての事だった。


そして逆に、それまで10年間受けてきた体育は、いったいなんだったのか、と思わざるを得なかった。運動部の、ほとんどプログラムも設計もない、ただむやみなジャンプやダッシュや筋肉運動の数々。そして体力をつけるため「体をいじめる」という、不可思議な観念。それは単なる精神主義の産物ではないのか。こうしてスコアに記録して数値化し、それを集めて分析し、さらにプログラムの設計を向上させる、という科学的発想はどこにも見られなかった。だが、あきらかに体育は科学の対象なのだ。目から鱗が落ちる経験とは、まさにこのことだった。


間違った「価値観の軸」が形成されやすい考え方が、「競争のための競争」と「精神以外に裏付けのない精神論」だと私は思ってるんですよね。

そういった価値観の元で学んでいっても、最終的には伸びなくなる。ほとんどの人がだいたい最初に折れるか途中で折れるかで、最終的にごく少数のモンスターが生まれる(というか虐待が再生産される)くらいだ。


人に教えるべき、伝えるべき「価値観」というのは、「科学的」でなければならないのかもしれません。

科学的…つまり、客観的で、再現性があって、論理的整合性があって…そういった性質をもったものを「価値観」の根底に置いておかないと、どうしても教える側の「ひとりよがり」で終わってしまいがちです。


教わる側の心得としては、教えられた内容について、それがどのような「科学」にもとづいているのかを読み取っていく姿勢が大切です。

ただ教えられた内容についてハイハイ言いながら従っているだけだと、「競争(優越ゲームなど)」や「精神論」くらいしか残らないかもしれないよ。


[ボイトレ][雑記]普段読んでるサッカーブログからネタをひとつ。

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サッカーブログの話。


ここ数年は「はてな」でもサッカー関係のブログがちょくちょくホッテントリになってしますが、私的にすごく好きなブログがここ。


サッカーの面白い分析を心がけます | スポーツナビ+


サッカーの面白い分析を心がけますZ



今回のネタ


で、このブログの筆者さんは「あるアマチュアチームの監督」らしいのですが、指導者としてのライセンスの更新講習に出たあとに書かれたブログが非常に面白かったので紹介したいと思います。


…どこの業界もおんなじようなことで悩んでるんだなあと思いました。


トレーニングメニューを構築しよう - サッカーの面白い分析を心がけますZ


WUP→TR1→TR2→GAMEという順番で練習をやろうぜ!というのが恐らくは日本サッカー協会の願いです。そんな願いはしったこっちゃねえぜ、これが私の生きる道だという人が多すぎて、その道を進んでいくと行き止まりだ!というのが日本サッカーの抱え続けている問題なんですが、それはまた別のお話。


注)WUP→ウォーミングアップ、TR→トレーニング

アマチュア合唱界隈、ボイトレ界隈もだいたいこんな感じで、「我が道を行く」タイプの指導者が多すぎて困ってますわな。

まあ、そもそも私らの居るところは「ライセンス」のようなものが無いので、「俺が指導者だ!」といくらでも自称できる世界だからぜんぜん話が違うという部分もあるのですが。


それにしても、練習の「枠組み」について、ぜんぜん考えてなかったり自己流だったり気まぐれだったりする人が多すぎるよなあうちの業界、というのが私の感想。

また、「合唱団の学指揮になっちゃった!」とか「お前ちょっと練習仕切れよ、とか言われた!」ってときに最低限の「枠組み」というか「テンプレート」というかを誰がどう教えてくれるのか、どうやったら勉強できるのかってのがあんまりはっきりしてなくて、いわゆる「這いまわる経験主義」に陥っている団体とかよく見るので、この辺うまいことできたらなあと思ったり。


合唱の練習だとだいたい

「ウォーミングアップ→発声練習→(音取り)→合わせ練習→通し練習」

みたいな流れになると思うんだけど、ウォーミングアップはウォーミングアップになるとして、発声練習はTRに当たるけれど、合わせ練習はTRになるのかGAME扱いになるのかちょっと綺麗に当てはまらないかも。

あと、発声練習にも「ウォーミングアップとしての発声練習」と「トレーニングとしての発声練習」があるので、それはぜひとも分けて考えて欲しいところ。



僕の勝手なイメージでは、まずはテーマを決める。それにそって、上記の流れでトレーニングを行うみたいな。TR1とTR2の差はドリルかグローバルか。グローバル×グローバルでも選択肢の数で難易度の調整をするみたいな。


大事なことはテーマが一貫していることです。そんなのはあたりまえじゃないか!!と思いますが、。トレーニングメニューのテーマがぶつ切りなケースはめちゃくちゃ多いです。得意のWUPが適当なケースを多々目撃してきました。これ、いわゆるスクールコーチですらできていない人もいます。


これもしょっちゅう近所で見かける光景だなー、と。

合唱団でありがちな練習の流れでも、


・ウォーミングアップがウォーミングアップになってない、効率が悪い


・発声練習を「ウォーミングアップに過ぎない」と考えていて、トレーニングとして新しい何かを身につけようという発想がない


・発声練習が、思いつくままに「ドリル(限定的な反復練習)」をするだけ


・発声練習に「グローバル(実践を想定しての練習というか応用練習というか)」を取り入れようという発想がそもそもない


・ウォーミングアップ→発声練習→合わせ練習→通し練習の一連の流れにテーマがなく、やりたいことがバラバラで前の内容が生きてこない


・そもそも発声練習の中でもテーマが一貫してないので、「ただ声を出しただけ」で何も身につかない


…みたいな団体をよく見る。

それこそコンクール常連さんとかでも。

それを指揮者の個人能力と練習量と気合と情熱でなんとかまとめるスタイル。

だから、そこで学んだ人がそのスゴイエリート団体を抜けてから他の素人の集まりに置いとかれると、リーダー的な役割を求められつつもロクに何にもできなくなる事案が頻発する。


これじゃイカンよなあと思って自分の居る団体ではそうならないように色々提言してはいるんだけど、私が指揮振れない人なので最高権力者になったことはないのでそうそう実行に至らず、むしろ出しゃばれば出しゃばるほど余計な船頭になってる感じで正直つらい。



で、ここからは僕のお話。僕もこのような流れで考えていたのですが、最近はちょっと変わってきました。いわゆる逆算方式です。


テーマを考えるのが最初です。でも、同時に最後のゲームをどのようにしたいかを考えるのが最近は先になりました。最後のゲームは好きにやってもいいよが日出処の特徴です。それでは何のためのトレーニングなんだ!というわけで、ここをがっつり重視しています。


というわけで、みなさんも考えてみましょう。どんなゲームにしたいか。


覇気のあるゲームにしたいというのも全然有りです。覇気が高まるを具体的なプレーに落とし込み、そのプレーが頻発するトレーニングメニューを考えればOKです。


身体の向きがテーマでもOKです。どのような身体の向きが正しいかを具体的にし、それが頻発するトレーニングメニューを組む。そしてゲーム中はボールを受けるたびに身体の向きと連呼していれば、嫌でも意識してプレーします。これを無意識状態にまで持っていければ、あなたの勝ちです。


で、実りのある練習をしようと思ったら「逆算」で考えましょう、というまとめ。


「最後のゲームは好きにやってもいいよが日出処の特徴です。それでは何のためのトレーニングなんだ!」

…というのは、非常によくあることだけど、なんでなんだろうなあ、と思う。


こうなってしまう理由と対処法としては


・「つまんないトレーニング(苦行、やらされる)」と「面白いゲーム(ご褒美、自由にやれる)」という対応関係になっているから

→ウォーミングアップやトレーニングの時点から「面白さ」「自由・自律」を感じさせる工夫が必要


・指導者自身に練習のテーマがないから

→しっかりテーマに沿って全体をデザインしましょう


・被指導者がテーマを理解していないから

→指導を徹底しましょう、テーマの提示の仕方を工夫したり「自己評価」などのツールを使うのもいいですね、前提として指導者の示すテーマが「共有可能」な「具体性」を持っていることが重要です


…あたりかしら。


そういうわけで、「最終的にどんなゲームがしたいか(実践レベルでどんな課題があるか)」→「そのためにはどのようなトレーニングが必要か」→「そのためにはどのようなウォーミングアップが必要か」という逆算で練習を組み立てるのは大事だなあ、と思うので、今後も改めて気をつけたいところ。



余談


さて、サッカーと言えば我らがホームチーム「コンサドーレ札幌」の今年の様子ですが…絶不調期に入っててなかなかスッキリしない日々を過ごしています。

気持よくサッポロビールが飲みたいよぉ!!


初戦のジュビロ磐田戦を幸先良く勝利し、その後も昇格争いのライバル達と抜きつ抜かれつ戦っていたのですが、GW連戦から明らかに調子が崩れ、現在17位に低迷…。

春先から怪我人が多くて、序盤は我慢しつつ新戦力をテストしながら怪我人の復帰と小野の加入を待つという、忍耐の必要な時期であることはわかっていたのだけど、それにしても粘れなさすぎるよなあという現状でございます。

新加入や復帰組が入ってどうにか巻き返せるだけの内容やムードが今あるのか?と言いたくなってしまう現状だけれども、前に昇格した2011年もこの時期は(というか夏までは)ドン底というか絶望ムードが漂ってたけれどあの「岡山一成」と「ジオゴ」の加入以降急激に勝ち点を取れるようになって最終節で昇格をもぎ取った過去もあるし、今はチームと選手を信じるほかない。


また、試合内容は置いといて、外からコンサドーレ札幌というチームを見ると、今年は本当に面白い試みをしていると思う。

あの「小野伸二」の加入はJ2でも最大級のニュースだし、コンササポじゃなくても小野の動向から目が離せない人は多いんじゃなかろうか。

プロモーション事業も今年はかなり気合が入っていて、今月31日の前座試合にはなんとGLAYのTERUが!


5月31日(土)福岡戦(厚別/14時キックオフ)の前座試合「コンサドーレ札幌OB vs SWERVES(アーティスト・芸人チーム)」エキシビジョンマッチ開催のお知らせ - ニュース | コンサドーレ札幌


フロントも、なんとか楽しくしようという努力は感じるので、あとはサッカーの内容だけですな。

次こそは、やってやろうぜ!

[ボイトレ][雑記]某漫画に関する記事を読んで考えた、声の属性に関するヨタ話。

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【操作系が強化系の修行すんな】HUNTER×HUNTERの「念能力」から学ぶ人生戦略 - アイデアの0.5px


…はてなでちょっと話題になってたこれを読んで発作的に書いたエントリなので、あんまり精度とか求められても困る系記事。



適性について


何かを「選ぶ」ということは、何かを「捨てる」ということ。 - 烏は歌う


歌唱力について、最近たまに考えていること。 - 烏は歌う


私も過去にこんな記事を書いてみましたが、

「自分の適性を知ること」

「その環境が求めている適性を知ること」

「環境に合わせて、活かしたい適性以外はある程度は捨てること」

「自分の適性を環境が活かせないなら、ときには環境の方を変えたり捨てたりするのも必要」

…というのは大切なことだと思います。

これを意識せずにひたすら努力を積んでも、なにかと無駄になりがち。


まあ、「どこかの重要な適性が低すぎると、そこがボトルネックになって本来の長所すら光らない」ということもよくあるので、程度問題ではあるのですが。



小ネタ・発声能力系統図を思いつきで書いてみる


ハンターハンターの六角形の念能力系統図みたいな感じで、発声というか声のタイプを考えてみると、


f:id:wander1985:20140526222247j:image


こんな感じになるだろうか。

今、思いつきで書いたものなので、あんまり精度とかエビデンスとかを求めないで欲しい。

が、個人的にはこんな感じになるだろうとは思う。


だいたい自分の起源というか本質というか最も得意な性質が「10割」使えて、隣合う性質は「8割」くらい使えて、一個飛ばしで離れたものは「6割」くらい使えて、対角線上の最も遠い性質は「4割」くらいしか使えない。


「個性派ボイス」が最大の特徴の人が、いわゆる「クリアボイス」を習得してもあんまり効率がよくなかったりするし、逆に「クリアボイス」の人が頑張って声をしゃがれさせたり歪ませたりしてもあんまり効果が出なかったり。

また、「個性派ボイス」タイプには難しいこと考えさせずに「やりたいようにやらせる(得意音域に特化、勢い勝負)」方式でやらせると習得速いし、「純粋に技術を磨く(正確さの追求、声域の拡張)」方式の練習をやらせるとけっこう上手くやらないと難しかったり、せっかくの個性が死んだりする。

逆に「癖のないクリーンボイス」系には、いきなり無理に声自体のパワーや特定音域でのドライブ感を求めず、ナチュラルな声のままで正確に取る練習や素直に高音も低音も出す練習から入った方が上手くいったりする。


他にも例えば「他に特徴は見つからないけれど音域は広い」系の人は、とりあえずクリアな「変な癖をつけない」声でのびのび「勢い重視」でやらせると上手くいく傾向があるし、いきなり精密さを追求したり、ありもしない「個性・特異点」を探求したりすると、なんだかなあという感じになりがちな印象論。

ナチュラルに音域広いってことは、つまり「変な声の癖」が無いってことなんで、そこは活かしたい。

逆のタイプの「音域が特殊な感じ(男にしては異常に高い、とか低すぎるとか)」タイプは、とりあえず歌い込んで「その狭い音域の中で音の正確さを追求」したり「自分のオリジナルな声質と向き合う」ことを優先するとけっこう伸びて、いきなり「最大公約数的な綺麗な声」や「ダイナミックな感情表現」を求めると失敗することが多いなあという個人的な経験則。


「勢い最優先」気質な人は、感情の高低が激しいから音域の広いダイナミックな曲が似合うし、クリアな声よりは感情に従って荒れたり歪んだりする激しい個性あふれる声が似合う。

「正確さ最優先」気質な人は、穏やかな音域や声質が相応しいよね。


…もちろん、「ときには短所を補う」のも大切ですが。

苦手属性をメイン属性の40%以上にしようと思うとなかなか鍛えようと思っても鍛えられないけど、40%を明らかに下回ってる場合は伸びしろあるし、そのまま長所だけを伸ばそうとしても明らかな弱点が足を引っ張る可能性が高い。


すごいシンガーだと全要素を100%満たしているように見えたりするが、例えば「勢いもすごい」し「精密さもすごい」人は、

1.「最大の長所が他にあって、その長所が素人から見たら200%くらい行ってるため、勢いも精密さも100%超えてる」

2.「どちらかの要素が200〜300%オーバーで、もう片方の要素も100%超えてる」

…という感じだったりすることが多いよなあ、とは思う。

もちろん、あらゆる能力を同じく高い水準で保ってる超特質系もいたりするんだけど。

[ボイトレ][雑記]今日のヨタ話、ファッションも気にしようぜ。

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サッカー話、漫画話と続いたので、もう一個くらい脱線しとこうと思いまして。


ダサい


「合唱部員の私服がダサい」みたいな鉄板あるあるネタを少し前にひさびさに見かけて、元合唱部員的には「おおむねその通りだけど、もっと言い方とかあるだろ!」と思いました。

まあ、文化系の部活、だけでなくあらゆる部活で「私服がダサい」ネタは鉄板なんですけどねー。


そんなことを思いながら周囲で音楽やってる人を見ると、私風情がオシャレ扱いされてしまうレベルでファッションに限りなく興味が無い層が多くて、もったいないなあと感じております。

音楽やる人がファッションのことを気にする利点ってのはたくさんあって、「関係ない」とか「機能がよければいい」とか「ファッションなんて気にしなくても俺はありのままで素晴らしい」とか「どうせイケメンに限るんでしょ」とかなっちゃうのは非常にもったいないなーと思います。


じゃあそれはなんでよ、という理由を列挙してみる。



気分が変わることで声も変わるから


なんでかというと、まず、ファッションを変えると大きく気分が変わって、声が大きく変わることがあるから。

声という楽器はメンタルに非常に強い影響を受けやすいので、ファッションから入るのも少し効果があったりする。


「やりたい歌」や「出したい声」のイメージに合った服を選んでみることで、一層強くやりたい表現ができるようにしたり。

また、「やりたい歌」や「出したい声」ってのはどうしても曖昧になったり言語化が難しかったりするので、それをなんとか色々なモノに喩えてイメージ化することが多いんだけど、そのイメージ化の一つとして「ファッションで言ったらこんな感じの」という表現語彙を持っておくと色々捗る。


他にも、いざというときにとっておきのファッションを使って、「意識を日常から切り離して音楽に没頭するためのスイッチ」として使うとかね。

気分の切り替えや、過度の緊張の防止などに。

ファションには、「仮面を被る」効果もあったりするので。

逆に、日常と音楽を結びつけるために、敢えて「いつも通りの格好」を日常に設定する場合もある。


この辺はプロもやってる。

プロだからやってる、とも言う。

上手になるための秘訣とは:永井千佳の音楽ブログ:ITmedia オルタナティブ・ブログ



なんだかんだで見た目が大事なので


「音楽が良ければ、見た目なんてどうでもいい」

…これを言えるレベルで圧倒的なパフォーマンスとかやってみたいけど、そんなこと言えるレベルの人ってどんだけいるかって話ですよねえ。



「美的感覚」というものは、そう変わらないから


「美的感覚」というか「審美眼」ってやつは、ジャンルによって別々な部分も大変多いんだけれども、基本的な部分ってのは同じだと思うんですよね。


例えば、「緊張と解放」だとか「反復と変化」だとか「全体の統一感と、適度なハズシ」だとかいう概念。

これ、音楽では(特に曲の展開を考える上で)ものすごく大事なことですが、ファッションでも大事ですね。

そういった「美」を音楽では理解しているはずの人が、例えば「オタクファッションあるある」でよく言われるような「全身(工夫のない)黒」とか「なんかやたらとダボダボ」とか「各アイテムの属性がバラバラすぎて方向性が行方不明」とかいう服を着て、何の疑問を持たないのか?という話です。


もちろん、音楽に全意識を集中していてファッションなんて考えたこともない、っていうタイプもいるんだけど、「音楽が良ければ、見た目なんてどうでもいい」ってそんなこと言えるレベルの人ってどんだけいるかって話ですよねえ。


他にもね、「流行と定番のバランス感」とか音楽でもファッションでも大事なんだけど、「ファッションなんて流行を追うだけの刹那的で無意味なものなんでしょ!?」って思っちゃったりとか。

そりゃ全くファッションを理解してないし、実は音楽も理解してない。


他にも「TPOに合わせた選曲・組み立て・細部の処理」って音楽じゃ大事にして当たり前なんだけど、それをファッションでは全く気にしないとかね。

ズボンの裾の長さを一顧だにしたことのない人間が、フレーズの終わり方を云々できるのか、とか。


この辺の「美的感覚」ってやつは、音楽とファッションだけでなく、あらゆる美(例えば「料理」だの「勝負事」だの)に共通することだと思うな。

村上龍の「文体とパスの精度」という本があるが、要するにそういうことだろう。

文体とパスの精度 (集英社文庫)

文体とパスの精度 (集英社文庫)



自分という人間を再理解するために


音楽もファッションも、「何を歌うか・着るか」「どう歌うか・着るか」という以上に「誰が歌うか・着るか」ってのが重要なんですよ。

で、その「自分とはいったい誰なのか」という問いを「音楽だけ」から考えるんじゃ色々と偏ってしまいがちなので、様々な観点から自分を見返す必要があるのですが、その重要な視点の一つとして「ファッション」があるわけです。



音楽とファッションは切っても切れない関係にあるから


「○○オタクにファッションを教えこんだら、むしろファッションオタク地獄に突き進んでいった」という話はよく聞きますが、音楽オタクになる以上はファッションオタクになる素養もありです。

アーティストに惚れ込むとか、音楽評論の文脈から「ファッション魔道」にハマっていく人は本当に多いですからね。


音楽とファッションって切っても切れない関係にあって、相互に影響を及ぼしあってきたカルチャーなので、どちらかに大きな変化があったときには、必ずもう片方にも大きな変化が訪れたりしてきたわけです。

その辺をちょっと知ると本当に楽しい。



まとめ


特にオチない。

とりあえず、「音楽好きは、そういう理由で、ファッションにも気を使い出すと人生が二倍楽しくなるよ!」とだけ言っておく。


関連エントリ

ファッションに興味を持って、入門書を読んでみた話。 - 烏は歌う

[雑記][ボイトレ]ただしイケメンに限るのか

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ファッション小ネタを書いたついでに書いておくけど、よく「ただしイケメンに限る」みたいなことを言う人ってけっこういますよね。


個人的に思うのは、

「イケメンじゃない限り、ファッションにどれだけこだわっても意味が無い」

というのは明確な間違いだと思います。

しかし、

「イケメンにしか絶対に似合わないファッションがあり、それをイケメンじゃない人がするのは意味が無い」

というのは確実だと思います。


なので、大切なのは自分のキャラや体型、または「見せたい人」をしっかり把握して、それに合った戦略を立てることですね。


ボイトレなんかも同じで、「元からイケメンボイスじゃないからどんなに練習してもダメ」とか「○○さんみたいな声を出せないんなら意味が無い」とか言って諦めちゃう人もいたりしますが、確実に「あなたにとって最高の声」はあなたしか出せないわけで、その辺の把握をし、戦略を立てることがなにより大切。

そのためには、

「自分の声と正面から向き合うこと」

「嘘・偽りのない声を出せること」

「まわりの意見をしっかり聞きつつ、それに流されすぎないこと」

ってのが必要なわけで、なかなかできることじゃないんだけど。




あと、「イケメンに限る」と思わされてしまうレベルで「服が馴染まない」人っているんだけど、そういう人って「着こなし」レベルがわかってないことが多いように思います。


ファッションというとまず「コーディネート(組み合わせ)」とか「着回し(組み合わせ)」とかのことばかり持て囃されがちですが、それ以前の問題として、

「着こなし(どのように着るのか)」

という点がとても大事なんですわ。


「サイズは合っているか」「どこに、どうやってサイズを合わせるか」とか。

「ボタンやベルトはどのくらい閉めてどのくらい開けるのか」とか、「それぞれの末端をどのように処理するのか(裾はそのまま?折り畳む?まくり上げる?)」とか、「重ね着の下はどの程度見せてどの程度隠すのか」とか、「ズボンのウェスト位置はどのくらいの高さにすんのか、シャツはインするか、ベルトはするか」とか、「帽子はどのくらいの深さで、どのくらいの傾きで被るのか」とか色々たくさん。

その辺をしっかりやらないと、何をどう組み合わせたってしっくりこない。


その辺の「ちょうどいい着こなし」ってのは、ファッションの「基本」なわけで、そういう「基本」ってのはものすごく重要なんだけど一朝一夕で身につかないのはどのジャンルでも同じなわけでして。

男性の場合はとりあえず「スーツはこう着ろ!」「なぜならこういう機能・由来があるからだ!」的な本の1冊でも押さえとくといいと思いますね。

男性の「洋服」って基本的には全部スーツの変形なんで(だいぶ雑な説明)。

で、それを理解した上で、目的や環境やコンセプトに応じて崩していく。


歌でも、とりあえず「そのジャンルにおけるお約束」みたいなのをしっかり理解しておかないと、どうにもならないことが多いですね。

そのためには、とにかく「スタンダード・ナンバー」を聴きこむのが大切。

いきなりオリジナリティとか個性とか出そうと思ってもキツイし、「お約束」を理解してないと選曲や歌い回しを工夫してもそれっぽくならない。

古臭い考え方だけど、いわゆる「守破離」ってけっこう大事。

[雑記][ボイトレ]「ド素人」にまずアドバイスしようと思ったこと。

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先日、友人のドラマーに唐突呼び出され、「うちのボーカル(色々とド素人)をコーチしてくれ!」と言われたので行ってきた。

とりあえず1回目ってことで完全に様子見。

次回は軽くアドバイスというかリクエストしてみて、その上でさらに様子見しようかなーというところ。



とりあえずウォーミングアップしよう


とりあえず、他の楽器隊が色々と準備している間にそのボーカルさんが棒立ちだったのが超気になったのですが、まあよく考えたら我々のような一部の人を除いたら「ボーカルのウォーミングアップの仕方」なんて知らないでしょうし、そもそも「ボーカルにも準備運動が必要」なんて意識がないことが多かったり。

そもそもそんなもんだわなー。


ってわけで次回は簡単なウォーミングアップの仕方とか、練習中に疲れてきたらするストレッチの仕方とか教えようと思いました。


この辺とか。

こっそりできる、声の準備運動 - 烏は歌う



とりあえず水にしよう


えー、とにかくある程度の時間歌うなら「給水」は超大事です。

で、歌ってる真っ最中に摂るなら、「アルコール・カフェイン・炭酸・氷・糖分・脂肪分…」などなどはご法度ですので、とりあえず水にするのが手っ取り早い。

というわけで、その辺の意識もそりゃまあド素人ならないよなってことで、とりあえず次はボトルウォーターをプレゼントし、

「俺たちの場合、ボトルウォーターとか水を入れたマイ水筒あたりを、必ず練習の際には持っていく」

…ということを言っておこう。

あとはどうすんのかはおまかせ。


関連。

「喉に良い」飲み物・食べ物を考える上で。 - 烏は歌う



とりあえずマイクをちゃんと扱おう


あと、歌いながら激しく動くもんだから、それで手に持ったマイクの位置とか角度とかが安定しないのがものすごく気になった。

そのせいで、ものすごく効率が悪くなっちゃってるから、そこそこ声が出てるはずなんだけど全然聞こえない部分がある。

「マイクと友達になれ!」とは言っとかにゃいかんなあとは思ってる。


とりあえず、彼の場合は「マイクを頻繁に下ろし、そのためにフォームが崩れてる」感じがするので、そこかな。

D

D

こんな感じで、たとえ動きまくってもマイクと口の角度と距離が安定してんのが大事。

声を出したい方向に「真っ直ぐ」になったマイクがないとね。

本当はマイクの先の網部分を触るのもやめて欲しいところだけど。


本当は「マイクスタンドにマイクを安置して」「口との距離だけ考える」方向で行った方が楽なんだけど、彼のしたいことを考えるとそれじゃ無理っぽいし時間も無い。



とりあえず抑揚をつけよう


だいたい経験浅いボーカルがバンド相手にすると、「全部100%で歌おう」としちゃって失敗することが多い。

元気なところを元気に歌うのはいいんですが、全力で歌うのは1曲にせいぜい1、2箇所あればいいんです。

派手に入る曲は何も考えずに全力で入り、曲調変わるときには「え、こんなに手を抜いていいの!?」ってくらい軽く歌う。

普通のテンションで入る曲は、最初を「え、こんなに手を抜いていいの!?」ってくらいダルそうに歌うかわりに、盛り上がりどころでは全力。

まずはそのくらいでいいんじゃないかと思います。



私のやること


とりあえず、上手く行ってるところはとことん褒めちぎること。

相手は北米出身だから、日本人に対する「褒めちぎり」では挨拶にもなってない気がするので、もう少しがんばる。


とりあえず現状、高音はいい感じに出てる。

そして、ラップは日本人には無理なんじゃねえかと思ってしまうくらいの上手さと格好良さがあるわ。

ステージ・パフォーマンス(うごき)も派手派手しくて映えるし、それが声のダイナミックさにつながっている気もする。


この辺は殺したくないので、基本的なコンディション管理をしつつ、上手いこと「緩急」の「緩」の部分を処理したい。


まあー、友人のドラマーに思いつきで呼び出された程度のコーチだから、何ができるんだかわからない部分は多いけど、がんばろー。

[ボイトレ][雑記]たまに「じゃあお前にできんのかよ」と思ってしまうのが人情です。

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今日ホッテントリになってた増田を読んで思ったこと。


まともにトラップもできない“にわか”は黙ってろよ


要するに、「サッカーをやったこともないような人が、サッカーの『にわか評論』をすること」に対する、違和感というかイライラについてのお話。



個人的にはこう思う。


どんな分野であれ、そのパフォーマンスを語るのに、「経験者である」とか「こんな苦労をした」とか、そういった「資格」めいたものは必要なく、だれでも好きに語る権利がある。

「経験者以外語るな」ってのは最悪。


しかし、何かを「意見」として表明するならば、それを聞く側にもそれに反対したり反論したりする権利があるし、そこまでせんでも、その意見にイライラする内心の自由くらいはあって欲しい。

「経験者以外語るな」ってのは横暴だけど、「素人の意見なんだからどんなに間違ってて、下らなくて、リスペクトを欠いてても経験者は広い心で許せ」って風潮も激しく横暴だよなー。


こういう時にこそ、この画像なんじゃないだろうか、とは思った。

藤子・F・不二雄氏が描いた「表現の自由」を表す1枚の画像が的確だと話題 - feely


あと、その「意見」が正しいかどうかは、「意見が正しいかどうか」によって判断されるべきで、素人だろうと正しいことを言えば正しいし、経験者だろうと間違った意見は間違ってる。

語る人の「属性」は関係ない。


あと、これは余談だけれど、思考がタコツボ化しがちな熟練者にとって「普段見ない人だから感じるナニカ」という批評がイノベーションを起こすこともあるので、そういう意味でも「素人は語るな」というのはアカン。


しかし、「ある程度やってる人間でないと正解がわからん」感覚というのはあるわけで、素人というのはだいたい間違う。

現実にはあり得ないこととか、とっくにやってることだとか、いわゆる「先人が誰しも思いついてたけど敢えてやらなかったこと」を提案したちゃったりする。

評価基準があり得ないレベルで高かったり、逆にできて当然のことができてないのを見逃してたり。

そういう間違った意見を言ってはいけないとは言わないが、それを聞いた人にだってそれを批判する権利があるってことは忘れちゃいけないし、「批評返し」を食らいたくなければ、その意見を発信する前に少し色々と思いとどまる必要がある。


そしてニワカ批評を逆に批判したい人は、「俺が経験者でお前はニワカだ」という権威主義的態度ではなく、専門的な知識・経験を生かして「その意見のここが具体的にこう間違っている」という態度で指摘していくべきだと思います(モヒカン族感)。


あとはなあ、「ニワカ批評が気に食わないなら、自分がもっと正しくて面白くて魅力的な批評を発信していけばいい」という考え方もあって、ブコメとかでも少し言われたりしてたけど、そして私も少しそう思ったけれど、その意見って要するに「○○できないやつは黙ってろ」論につながっちゃって思考がグルグル。



ここで身も蓋もない話にしちゃいますと。


まあ、そもそも「ニワカ批評」ってやつのほとんどが、「意見を言いたい」わけではなくて単に「何かをけなして気持よくなりたい」「何かを知ったかぶって気持ちよくなりたい」だけのノイズだったりするので、そういうものからできるだけ心を遠ざける技術が必要って話かもしれません。

キャプテン長谷部も「心を整える」のが大事だって言ってるしさ。


というわけでレッツ仏教。


苦しまない練習 (小学館文庫)

苦しまない練習 (小学館文庫)

[ボイトレ][用語の解説][声質の改善]そもそも声帯って何のためについているのかと言いますと。

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「声を出すため」…だけではないんですね。

声帯には、もう一つ「誤嚥(気管に食べ物や飲み物が入ってしまうこと)の防止」という大切な役割があります。

ものを飲み込むときに、気管への通り道を閉じ、気管や肺にものが入ってしまわないようにする仕組みが人間の身体には備わっています。

その仕組みはかなり重要なので何重かになっていますが、その「門番」のうちの一つが「声帯」なんですね。

緊急時に強く閉じることで気管への異物の侵入を防ぐ、というのが、声帯の大切なお仕事です。


なので、歳をとって声帯がスカスカになってくると「誤嚥」がやたらと増えてきますし、それが原因でヤバイことになってしまったりしますね。

また、個人的な経験だと、「声帯が疲れきってるとき」って、むせ返ってしまいやすい気がします。



喉仏(喉頭)の高さと声帯


で、声帯ってものを「緊急時に気管をシャットアウトするためのもの」と考えますと、当然ながら「シャットアウト状態」になってる時には声が出せません。

まず息ができませんし、ガッチリ緊張して完全に閉じている声帯は発声のための「振動」というか「開閉」ができませんので。


なので、発声時には、極力「シャットアウト状態」=「ものを飲み込もうとしている状態」から離れることが重要です。


それで、では「シャットアウト状態」の喉に何が起こるかと言うと…

「ものを飲み込むときには喉仏(喉頭)が上がる」

という現象が起きるわけです。

なので、逆に言えば、「喉頭が上がると、喉がものを飲み込む状態(気管シャットアウト状態)に近くなりやすい」と言えるわけです。



「喉頭を下げろ」と言われる理由とか


このような理由から、発声時の喉頭の高さについては

「喉頭を上げてはいけない」

「喉仏は軽く下げたほうがいい」

と言われています。

ジャンルによって、どの程度下げるかはけっこう違うのだけれど、基本的には「安静時の呼吸時の高さ〜それより下」をキープしろと言われることが多い。

「あくびの喉で発声しろ」とか言われることが多いね。この言い方、私はそんなに好きじゃないけど。


よく発声練習の現場で使われがちな「謎の言葉」というか「感覚的・詩的(非現実的)表現」として、

「喉を開け、喉を閉じるな」

※「喉」って具体的に解剖学的にどこからどこまでのことだよ、それって開いたり閉じたりするのかよ、とツッコミたくなる

「息の流れを止めるな」

※そもそも息止まったら声は出てないよ、「流れ」ってどういうことだよ、とツッコミたくなる

「喉で声を出すな」

※もうツッコミ疲れた

…とか言われることがありますが、これが要するに「喉頭・声帯を」「気管をシャットアウトするモードにするな」という意味で使われていた場合は、喉頭を下げることで概ね問題を解消できます。

別の意味で言われていた場合は、また別の方法が必要になりますが、概ねこういう意味で言われていることが多いかな。



下げ過ぎの害とか


で、じゃあ、「喉頭は下げれば下げるほど良いのか」というと、それは違います。


喉頭を下げきっちゃうと声帯に関係する筋肉が固まっちゃってすごく不自由な声になりますし、いわゆる「響く場所」「共鳴腔」も喉頭を下げ過ぎると「むしろ狭まる」ことがわかっています。


無理やり喉を下げる行為に注意 : 喉ニュース


アマチュア声楽かぶれとか、こういう「喉下げ過ぎ」な人が多いので要注意。



一時的に「喉頭を上げる」トレーニングとか


あと、喉が上がっちゃうと「声帯に無理に閉じようとする力が入りやすい」ので良くないのですが、裏を返せば

「声帯を(なりふり構わず)強く閉じることができる」

とも言えるので、一時的に「喉頭を上げる」トレーニングをすることがあります。

極度のハスキー・エアリーボイスの人とか、声が裏返るとスッカスカのファルセットやウィスパーになってしまう人に、「声帯を分厚くくっつけて発声する感覚」をつかんでもらうために、「一時的に」喉頭を上げた状態で発声練習してもらったりもするわけです。


何度も書きますが、あくまで「一時的に」だからね。声帯に負担かかるから。

ずっと喉頭上げたままで発声するわけではなく、ある程度感覚をつかんだら、今度は喉頭を下げる作業が必須だからね。


小ネタ、「ロリ声」「ショタ声」の出し方。 - 烏は歌う



喉頭の上げ下げの仕方


ある程度慣れてる人は、意識的に喉仏を上下させられますよね。


慣れていない場合は、首の前面に手を当てながら

・つばなどを飲み込む→上がる

・「い」の口をしたり、実際に「いー」と発声してみる→上がる

・あくびをするふりをする→下がる

・口を縦長に開けたり、低い声で「おー」と発声してみる→下がる

…とかを確認して、どこにどんな力を入れたら喉仏が上がり下がりするのかを確認しましょう。


それと、実際に発声するときに、「喉頭を下げよう!下げなきゃ!」とか意識すると、下げ過ぎ状態になってしまいがちです。

そういう時には、喉頭を意識するのではなく、「舌のかたち」を意識すると良いです。


声を出すときに

「舌先が高く上がると、喉頭が上がりやすい」

「舌先が低く下がると、喉頭が下がりやすい」

という対応関係がありますので、喉頭をコントロールしたい場合は、舌の位置に気をつけるといいでしょう。


合唱やってるとしょっちゅう話題になる「い」母音の攻略法。 - 烏は歌う

滑らかに歌うための、母音トレーニング法。 - 烏は歌う


[ボイトレ][呼吸]息継ぎを「鼻から」するか「口から」するか迷うときには。

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よく質問されることについて。



鼻呼吸、口呼吸のメリットとデメリット


・鼻から息を吸う

メリット…声帯にやさしい(変な力が入らない、喉が乾燥しにくい)呼吸が可能、腹式呼吸になりやすい、比較的静かに息継ぎできる

デメリット…多量の息を吸い込もうとすると、少々時間がかかりやすい


・口から息を吸う

メリット…瞬間的に一定量の息を吸い込むことができる

デメリット…胸式呼吸になりやすく、喉が力みやすく、乾燥しやすく、声帯にやさしくないし、変な音も鳴ってしまいやすい


という感じなので、ボイストレーニングの現場では「基本は鼻から吸う」「緊急的に口から吸ったり、口からも鼻からも両方吸うこともあるが、あくまで補助的」という感じで言われることが多いです。


声を使うときに「鼻呼吸」をする4つのメリット - 烏は歌う



あんまり意識しない、という考え方も


で、「絶対に鼻から吸うよう意識しなければならない」と教える人もいますが、最近はどちらかと言えば、


「吸気については、鼻からとか口からとか意識せず、そもそも積極的に『息を吸おう!』とせず、息を吐いた反動で自然に身体に空気が入ってくる感じでいよう」


という考え方が一般的になってきました。

吸気に意識を回しすぎると、不自然な吸い方になってしまいまいがちだからです。

例えば、息の「吸い過ぎ」であったり、「喉回りの筋肉の硬直」を引き起こしがち。

なので、吸気は「どのように吸うか」「息を吸おう!」と考えず、ただ合間合間で「力を抜く」ことが大事である、という風に教える人が最近は一般的だという印象があります。


肺から空気がある程度出て行った状態で力を抜けば、自然と必要な量が入ってきますし、それが「鼻から吸った方が自然」な場合は鼻から空気が入ってきますし、「口から吸った方が自然」な場合は口から空気が入ってきます。

鼻からか、口からか、悩むことは無いです。


息の吸い過ぎには注意、という追記。 - 烏は歌う

発声の前に、息はしっかり吸うべき? - 烏は歌う



「鼻か口か」の二元論に囚われてはいけないかもしれない


あと、

「息を吸うのは、鼻であるべきか、口であるべきか」

…こういう風に悩む人って、けっこう「問い」自体が間違っている場合があるわけでして。


「鼻から吸うのでは間に合わない!」という問題を抱えている人が口から息を吸えば、喉に変な力が入った、変な音のする、喉が乾きやすい、そんな「喉に悪い呼吸」になってしまうことが多いでしょう。

また、「口から吸ったら喉が変に力んでしまう!」という問題を抱えている人が鼻から息を吸えば、たぶん十分な空気を吸いきれず、なんか息苦しくなったり、次の発音に間に合わなくなってきたりするでしょう。


そういうわけで、なにか呼吸が苦しくなってるときには、「鼻からか、口からか」という以前の問題が起きている場合が多いです。

もちろん、鼻呼吸と口呼吸の切り替えでなんとかなる場合も無くはないけど、あんまり無い。


だいたいの場合は、

・自分の限界を超えた技術(超ロングトーン、早口、息継ぎ無しでのロングフレーズ、過剰なシャウトなど)をやろうとしている

・どこでブレスするかが定まってなくて、不安定

・変な力が入っていて、上手く息が吸えないor吸いすぎて力んでしまって苦しい

…って問題が起きていることがほとんどです。


なので、

・計画的に、無理のない息継ぎ計画を立てる

・基本的なブレスコントロール系のボイトレをやりこんで、「限界」を伸ばす

・ブレス時に余計な力が入らないように訓練する

ってのが大事です。


有名なボイトレ本から一言引用しますと、


P24

素晴らしい呼吸法とは、身体中に空気をめいっぱい入れようとすることではありません。例えて言えば、コップ一杯の水とプロフェッショナルなウェイターとの関係のようなものです。


というわけで、気の利いたウェイターのように、「空になる前に」「静かに」「いつの間にか」「必要な分だけ」空気を補充することを考えましょう。


また、ブレス系基礎トレとしてはこの辺とか。


ブレスの具体的なトレーニング方法。 - 烏は歌う

呼吸トレーニング、レベル別Tips。 - 烏は歌う



いわゆる「発声の支え・息の支え」というやつについて


そういえば、「いかに息を吐くか」についてのトレーニング法は色んなところで見られますが、あんまり「いかに息を吸うか」というトレーニングってあんまり見ないですよね。


それが何故かというと…

・しっかり「力を入れて」吐くことができれば、力を抜いた瞬間に多量の息が反動で戻ってくるので、吸う練習は必要ない

・しっかり「力を入れて」吐くことができると、吐く息の量が安定して、むしろ未トレーニング時より少量の息で発声できるようになるので、吸う練習は必要ない

という感じですね。


こういうことが実現された発声を、俗に「支えのある発声」と呼びます。

「支え」さえしっかりしていれば、口で吸っても鼻で吸っても特に問題はない(鼻からの方が色々喉にやさしいけど)って感じかと。


発声の「支え」ってなんなんだ - 烏は歌う

[ボイトレ][雑記]「お悩み」の表現の仕方。

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最近忙しいのでなかなか更新できないなか、なんとなく考えていたことなど。



「お悩み」の表現の仕方


自分の声の悩みについて考えるときには、


・具体的に、どのような問題があるのか?


・どのような「事実」「現象」が起きているのか?


というのを最初に考えたほうがいい。


「○○な感じがする」とか、「○○な気がする」とか、「腹から声が出ていない(と言いつつ、腹から声が出るとはどのような状態で、どのような基準で出ていないのかを具体的に説明できない)」だの「喉から声が出てる(と言いつつ以下略)」みたいな、曖昧な事柄を「問題点」としてしまうと、解決は遠ざかってしまうことが多い。

どんなに正しく努力しても間違った答えが出てしまうときは、だいたい「問題」そのものが間違っているのである。


というわけで、具体的なアクションの出発点はできる限り「計測、記録が可能なもの」の方が良い。

「問題提起」というか「悩みはじめるきっかけ」というのは、どうしても「感想」という曖昧なものになってしまうことは仕方ないのだけれど、「じゃあ具体的にどうしようか」というのを考える前には、「感想」ではなくそこに起こっている「事実」「現象」をまず観察してからじゃないと難しい。


というわけで、例えば「喉に力が入ってしまっている気がする」という「感想」を抱いたときに、


・それによって、具体的にどのような問題が起こっているのか?

→声の高さ、音程の正確さや、出すことのできる音域・出しやすい音域はどのように変わったか?

→声の大きさ、声量はどのように変わったか?

→声質はどのように変わったのか?

→→「声質」というと若干曖昧なので、「母音の深さ・広さ」と「息のまじり具合」に注目して変化を見てみよう


…とか、こんな感じで1回掘り下げられると、「やるべきこと」が見えやすい。


ボイストレーナーとしては、その辺の「感想」を多く引き出しつつ、その中から具体的・客観的事実、現象を探り出す能力が求められる。

これはネット上の相談だと非常に難しいというか無理に近い場合が多い。

「感想」は付き合えば付き合うほど面倒くさいんだけど、重要な手がかりが隠されていることもあるし、あんまり蔑ろにすると相手の心が離れてしまうので、面倒くさいんだけどしっかり向き合わなければいけない。


関連エントリ

ボイストレーニングについて考えるときの、3×3通りの視点。 - 烏は歌う



間違った問いを出してしまいやすいポイント1


ボイトレ業界でよく言われている(ディープな人ほど嫌う言葉でもあるが)、

「腹から声を出す」

「頭に響かせる」

「喉を開く」

「全身を完全に脱力させる」

とか、これ系の言葉(私的には「発声ジャーゴン」と呼んでいる)は「事実」や「現象」ではなく、「感想」…というよりは「比喩表現」とか「お題目」とかそういう類の言葉でしかない。

しかし、人口に膾炙しすぎて、これがまるで「事実」のように扱われがちなのがなかなか問題。


「喉が開いていない」と思ってしまったときは、「じゃあ何故、喉が開いていないように感じてしまうのか、具体的に何が起こっているのか」というのをもう一歩だけ考えなければいけないのに、「喉が開いてないからダメなんだ!」というところで納得して思考停止してしまいがち。

でも、過去になんども書いたように、「喉が開いていないように感じる」原因も症状も山ほどバリエーションがあるわけで、ただ「喉が開いてないからダメなんだ!」ってところで立ち止まられちゃうとなかなかどうしようもないことが多い。


関連エントリ

「喉を開く」について、再度まとめ - 烏は歌う

気になるところから、徹底的に目を逸らしてみる - 烏は歌う



間違った問いを出してしまいやすいポイント2


あとはまあ、人間であるかぎり、自分自身のことに関しては間違った問いを見い出し続けてしまうことは仕方ないのかもしれない。にんげんだもの。

人間ってのは、とにかく「自分」というものを「客観的」に見ることが難しいからだ。


「実際には、こうである」というのより、「こうであってほしい」「こうだったら嫌だなあ」という願望を元に世界や自分を見てしまうのが人間である、と昔から偉い人はだいたい仰っているわけだが、そういう仕組みで「事実」を見るのは本当に難しいということは肝に銘じておくべきであろう。


そして、極力「ツール」を通して「事実」を観測するのが大事だし、信頼のおける先生に直接声を聞いてもらうことがとても重要。



ツールの話


最近はスマホアプリでも色々あって、チューナーやら音量計みたいな定番ものから、高音質録音・再生速度変更やらの便利ツール、さらにマニアックなところだと倍音成分表示できるアプリとかまで探せばあって、スマホひとつで考えうるツールは全部揃うような時代になってんのかもしれない。

これはできる限り有効活用するべきだと思う。

ただ、道具は結局「使う人間の知識と能力」がなければ役に立たないので、そっちのアップデートをし続けてるうちに必要に思ってきたものを揃えていくペースが良いと思う。


あと、簡単で原始的だけど効果的な声のチェックツールとして、

・ゆっくり、地声の最低音から裏声の最高音まで、グリッサンド(一音一音区切らず滑らかに繋げて)で上がり下がりしてみる

という発声練習フレーズがあります。

これを色んな音量や声質でやってみる。


これが問題なくできるようなら、「とりあえず問題は無い、ということにしといていいかな」くらいの難易度の練習です。

問題が起きたら「どこで、何が起きたか」をしっかり観察すると、やるべきことが非常に見えやすい。

[声域][ボイトレ]異性とかパート違いの曲を原キーで歌う話。

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たまに

「自分は男だけど、女性の歌を原キーで歌いたい!」

とか

「自分は性別にしては声の低い方なんだけど、声の高めの人の歌を原キーで歌いたい!」

とかよく聞くんだけど、それはとっても難しい面もあって、だからこそとても面白いんだよ、というお話。



音域の生理的な限界の話


声域を広げていくことはボイトレの中でも大きな要素ですが、基本的には「生理的な限界」を超えることは難しいと言われていますね。

しかしなかなか「生理的な限界」まで声をしっかり思い通りに使えている人はほとんどいないので、その辺が使えるようになればなった分だけ音域は広がるよ、という感じ。

特に低音は、俗にいう「チェストボイス」「地声」の最低音までしっかり出せていればそれ以上の低音を出す手段がほとんどないので、「限界がある」と広く知られています。

また、高音については、「チェストボイス」の限界の高さもやっぱり生理的に決まっています。

たまに「高音については限界がない!」みたいに言う人もいますが、それはちょっとありえない。

で、「チェストボイス」の限界にいったら「ミドルボイス」、さらに限界になったら「ヘッドボイス」へと切り替えていく必要がある、と。


※この辺の用語は、定義が人によってぜんぜん違うことがあるので非常にめんどくさい

それじゃあ「地声」「裏声」って一体なんなのか問題。 - 烏は歌う

ミドルボイスの呼び名問題。 - 烏は歌う


…で、とてもおおざっぱに書くと、

・声が低めの男声

チェストボイス「D2〜F4」/ミドルボイス「F4〜A4」/ヘッドボイス「A4〜D5」

・声が高めの男声

チェストボイス「F2〜G4」/ミドルボイス「G4〜C5」/ヘッドボイス「C5〜F5」

・声が低めの女声

チェストボイス「E3〜A4」/ミドルボイス「A4〜D5」/ヘッドボイス「D5〜G5」

・声が高めの女声

チェストボイス「G3〜C5」/ミドルボイス「C5〜F5」/ヘッドボイス「F5〜B5」

くらいなもんでしょうか。女声はちょっと自信ない。

(C4とか言う表記法もあんまり慣れてないのでミスってるかも。C2=lowC,C3=mid1C,C4=mid2C,C5=hiC,C6=hihiC…って書き方の方が慣れちゃってるんだけど、あんまり一般的じゃないんだよなー。)



声の性質や「盛り上がりどころ」の違い


基本的に、どの声区で歌うかによって、同じ高さの音であっても声の性質や印象が違ってきます。

チェストボイスの方が、太く力強い声質にしやすいし、声量も出しやすい。

ヘッドボイスだと、どうしても軽く鋭い音質になりやすいし、あんまり声量は出せない。

(技術で補って、「すごい声量がでていそう」に聞かせることはできる。)

ミドルボイスはその中間くらい。

あと、(特に男は)普段チェストボイスで喋ることが多いので、ミドルボイスやヘッドボイスで歌うと「非日常的な」印象を持たせたりすることができる。


それと、その声区内での音域によっても、どうしても「出しやすい」「表現しやすい」ものが変わってくる。

その声区で出せるギリギリの低音域になると、声帯を限界まで緩ませなければならないので「思いっきりテンションの低い声」か、エッジボイスを利かせまくって「おどろおどろしい声」にするしかないわけです。

逆に限界近い高音域、もしくはちょっと限界突破気味な高音域だと、声帯の緊張度がMAXな「思いっきりテンションの高い声」とかになってくるわけです。

真ん中くらいだと、よくもわるくも「余裕のある声」になりやすいし、ギリギリな音域はその「ギリギリ出している感」が特別な表現になるわけです。


で、ここが本題なのですが、

「大抵の歌は、本来の歌い手に合わせて、曲の盛り上がりや表現に合わせて適切な声区やその中での音域が来るようになっている」

という設計になっています。

だから、

「異性や別パートの歌を原キーで歌うと、本来とは違った盛り上がり方になる」

という現象が起きます。

だから難しいし、だから面白いんですな。


例えば、クラシック界隈では…「テノールと言えばハイC」という風潮がありますわな。

名テノールのパヴァロッティが「キング・オブ・ハイC」と呼ばれていたり、テノールにとってハイC(C5)は特別なものなんです。

それが何故かというと、C5はちょうど「テノールにとってのミドルボイスの限界高音近く」なわけで、

・声区の限界近いギリギリ感が生み出す快感

・ミドルボイス音域なので、「地声感(力強さ、男らしさ、パワフルな声量などなど)」を残して歌えるギリギリの高音

だから、これをしっかり出せると拍手喝采なわけですね。

(クラシック界隈はもう超人そろいなので、私のような常人のあれこれで説明しようとすると少々違うかもしれないが。)


同じ「ハイC(C5)」を

・ベースが出す→ヘッドボイスでしか出せないのでやや「裏声感」が強すぎるし、そんなにギリギリの音域でもないのであんまり面白くない

・アルトが出す→ギリギリ感がそんなにないのであんまりおもしろくない

・ソプラノが出す→チェストボイスの限界付近なので力強さはあるが、チェストボイスなので女にしては荒々しすぎるかも

という感じになってきますので、「一番の盛り上がりどころがC5の歌」があったとして、それをテノール以外が歌っても「全然違う表現」になってしまうわけですな。


他にもPOPS方面で実例を考えてみると、例えばこんな名曲聴き比べなんか面白いかも。

D

D


えー、このくらいの音域だと、女声だとまあ一般的な音域というか、だいたいチェストボイス音域〜最高音がチェスト張り上げかミドルボイスか悩むくらいの音域、という感じですね。

「話し声」音域のAメロを余裕がありつつも力強い中域のチェストボイスで歌い上げる(というか「喋る」)ことで「言うことは言う逞しい女性」をアピールして、サビはちょっと軽めに高音も出して開放感を表現、という感じだろうか。


しかしこの音域を男声が歌おうとすると、全体的に「チェストボイスの高めの音〜ミドルボイス音域」がメインになっちゃうわけで、もういきなりクライマックスな感じになっちゃうわけですよ。

もう「晴(ハレ)か褻(ケ)か」で言ったら完全に晴で、「祭りだワッショイ」って感じじゃないとやってらんないくらいの高音域。

なので、テンポを上げて、さらに色々と手数を増やして曲の密度を増すことで思いっきり曲のテンションを上げて、「男女の音域の違いによる盛り上がり方の違い」を上手いこと昇華しています。

この声で原曲通りやったら…たぶんすごいスカスカでしょぼい。


男声が女声曲を原キーでやる場合、逆にサビ以外を「ものすごくやさしい、力を抜いた声」でやることも多いですが、それもやっぱり「そのままやったらお祭り状態」なのを抑えるために、女性よりもむしろソフトにエアリーに歌ったりするわけです。

こんな感じで、なんらかの工夫が無いとどうしても聞かせる歌にはなりにくいんだけど、きっちり「見せ場」「見せ方」を用意したならすごく面白くなるんですよねー。


男女だと違いがわかりやすいので男女の話をしてきましたが、同性でもやっぱり声の高い低いってのがあるので、同じ歌でも、歌う人によって全然違う歌になってしまいます。

なので、

・どのキーで行くのか

・そのキーと自分の声の高さの組み合わせだと、どこがどのように盛り上がるのか

・王道(曲が最も盛り上がるところに、自分の声の一番いいところを当てる)で行くのか、敢えてずらすのか

というのをたまに考えてみると、面白いと思います。

[ボイトレ][用語の解説]「丸い響き」とか「柔らかい響き」とか。

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格付けチェックの話。


毎年、お正月は「芸能人格付けチェック」とかいう番組を見て過ごすんですよね。

(お盆過ぎに突然こんなことを言い出す強引な導入。)

今年は確か、某所の新年会に引っ張りだされて見られなかったのですが。


で、必ずあるのが、

「○億円のヴァイオリンと、○万円のヴァイオリンを聴き比べて、どっちが高価な方か当てよう!」

ってやつ。


これを見ながら(そして「間違ったー!」という人のツイートを見ながら)毎回毎回、


・どうにも日本では、一般に、「丸い」とか「柔らかい」とか「まろやかな」とかいう響きが「高級品の証」とされている


・しかし、高級楽器ってやつは一般に「ものすごいパワーを持った楽器」であり、ものすごく「華やかな音色」であることが多くて、慣れていない人が聞くとむしろ「強烈」「うるさい」くらいかもしれない


・なので、「より柔らか、というか単なるパワー不足な」安い方の楽器を「高級品」だと思ってしまうのではないか?


というツイートをしているような。


ただし、稀に「安くて楽器としてのパワーは少ないけど、バランスが悪いためにうるさい」楽器を「ひっかけ」に持ってくる年もあるので、「うるさい楽器=高級品」とだけ考えると間違うぜ。


高級ワインとかもね、「まろやかで複雑な…」とか言われてるやつでも、相当飲み慣れてる人以外が飲んだら「渋い!酸っぱい!クサい!刺激的すぎる!」と思うだろうし、それと同じようなことが起きやすいのではないだろうかと。



倍音と音の印象。


こういった、音の持つ印象、パワーの違いはどのようなところで生まれてくるかというと、「倍音の違い」ってやつのせいだったりする。

他にも色々原因はあるけれど、倍音構成ってやつが大きい。


これについては過去にも書いたけれど。

「良い声」の正体…倍音とは - 烏は歌う


もっと簡単なのを引用してくると、

音質と倍音構成 - ピアノの医学:おかしいぞ!そのピアノ練習法 - Yahoo!ブログ

硬い音、華やかな音、柔らかい音ってなんだろう?ハッキリものはないだろうか?


ピアノの調律師に言わせれば簡単である。


硬い音:高次倍音が多いと硬い音

柔らかい音:基音が強く 高次倍音が少ないと柔らかい音

華やかな硬い音:倍音が多い

こもった音:倍音が少ない

と、こんな感じ。



かつて困ったこと。


で、最近の(ってほど最近でもないかもしれないが)、私の身の回りのアマチュア合唱界隈というか素人ボイトレ界隈で困ったことが、

「明るい声と暗い声では、明るい声の方がいい」

「丸く柔らかい声と硬く尖った声では、丸く柔らかい声の方がいい」

「なんか倍音ってやつがたくさん出ているといいらしい」

みたいな、非常に曖昧な認識から、

「明るくて、丸く柔らかい、倍音の多い声を出そう!」

とか無邪気に言っちゃってる人がけっこういること。


これ、注釈つけると

「明るくて(倍音、特に高次倍音が多くて)、丸く柔らかい(高次倍音の少ない)、倍音の多い声を出そう!」

みたいな感じで思いっきり矛盾してるからね。


実態としては、「明るさ重視(倍音の量をとにかく増やしたい派)」と、「丸く柔らかい音色重視(余計な倍音をできるだけ殺したい派)」がいる感じ。

なのに、「明るさ重視派」で本当は倍音を鳴らしまくった「硬質で輝かしい音」を鳴らしたい人が、「柔らかい音色って大事ですよねー」みたいなことを言っちゃってたりする。

もしくは、「柔らさ重視派」で本当は余計な倍音を完全に殺した「ダークで上品な音色」が欲しい人が、「明るい声が合唱の基本!」みたいなことを言っちゃってたりする。

その差異に自覚すらないことも多い。


両方とも、言葉に囚われちゃってるというか、「自分が思う良い声=明るい声」「自分が思う良い声=柔らかい声」という認識しかないから、

「良い声とは何か→明るくて柔らかい声だ」

「明るくて柔らかい声とはどんな声か→良い声のことだ」

みたいなトートロジーになっちゃって、そこから一切進めなくなっちゃうんだよね。


じゃあ理想的にはどうあるべきかというと、

「ちょうどいい塩梅」

を目指すべきかと。

「明るければいい」(倍音が多ければ多いほどいい)ってわけでもないし、「柔らかければいい」(倍音が少なければ少ないほどいい)ってわけでもないし、そのときそのときで最適なバランスを考えるべき。

そのバランスを考え、それを実現するためには、倍音構成の話とかを知っておくといいかもしれない。

[声域][ボイトレ]高音発声時の自分の傾向を把握することが重要。

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うんちく


最近のボイストレーニングの流行というか、大雑把な傾向として、

「チェストボイス、ミドルボイス、ヘッドボイスの三種類の声を出せるようになろう!」

「その三種類の声を、滑らかに繋げられるようにしよう!」

…という考えの人が非常に多いです。


だいたいチェストボイスが2オクターブ(女性の場合は1.5オクターブくらい)、ミドルボイスが0.5オクターブ、ヘッドボイスが0.5オクターブの合計3オクターブを出せるようになりましょうよ、と。

そしてそれを滑らかに繋げられるようになりましょうよ、と。

音域は広ければ広いほど便利だし、最近はやたらとハイトーンな曲が流行ってるしね。


もし「3オクターブなんて、あっても使い切れねーよ!!」と思ったとしても、「3オクターブ出せる」ってのは非常に効果的でして。

というのは、「3オクターブを滑らかに繋げられる」ということは、声帯の使い方と息の量のバランスがものすごくいい感じであり、そのバランスを取りながら自由自在に声を使えている、ということを示すからです。

逆に言えば、「3オクターブを滑らかに繋げられない」ということは、「声帯の使い方と、息の量のバランスが悪く、どこかに問題がある」ということを示すので、直せるなら直したほうがベターだよね、と。



自分の声域を知っておく


なので、とりあえず大切なのが、自分の声域、チェストボイスでどこからどこまで出せて、ミドルボイスは、ヘッドボイスは…というのを知っておくことです。

この話については、ニコニコ動画にいいものが上がってたのを紹介した過去記事がありますので、貼るだけにしておきます。


声域のチェックをして、ミドルボイスの練習をしてみよう(男声用)。 - 烏は歌う


女声の場合は、チェスト最低音を1オクターブ弱上げて、声の切り替えポイントをおよそ3〜5度ずつ上げて考えてくれればいいかな、と。



自分の傾向をチェックする


で、この「適切な声区」ってやつを知った上で、このような図を考えて欲しいと思います。

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上の過去記事で紹介した動画でも少し説明されていますが、どうしても

「チェストボイスが一番大きな声量が出せて、ミドル、ヘッドになるにつれて声量は小さくなっていく」

「チェストボイスが音質的に最も太い声が出せて、ミドル、ヘッドになるにつれて音質はどんどん細くなっていく」

という傾向があります(やや大雑把な説明)。


なので、そのまんま声を出していくと、上の図のような声の出し方になってしまいます。

「太くて大きいチェストボイス」「中間くらいのミドルボイス」「細くて小さいヘッドボイス」の三種類が、ブツ切りになって存在していて、なかなか混ざり合うことがない状態です。

この状態で歌うと、チェストからミドル、ミドルからヘッドに移り変わるところで声質がガラッと変わってしまい、上手く構成を考えないと非常に気持ち悪い感じになってしまいます。

(もちろん、この「声の唐突な変化」を上手く使う歌手や曲もたくさん存在しますが。)


理想的にはこんな感じを目指したい。

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三種類の声が分離せず、滑らかに行き来できる状態を、「ミックス」できているといいます。

線が重なっているくらいの微妙な音域では、その前の声も後の声も出せる感じだといいですね。


で、「理想と、どのように離れているか」をしっかり考えるのが大切。

例えとして、ダメなパターンを羅列していくと…


・そもそもミドルボイス、ヘッドボイスが出せません状態

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割合的には男性に多い。

未訓練な男性だとE4とかF4くらいで「地声じゃもう出せません、それより上は完全な蚊の鳴くような裏声になっちゃいます」みたいな人が多いけど、だいたいこんな感じ。

女声だとA4とかB4くらいでもう出せなくなる、というタイプになる。

低〜中音域はしっかりした声を出せるんだけど、高音域になってくると声帯を完全にコントロールできず、声帯が閉じなくてヘッドボイスよりさらに弱々しい「ファルセット」になってしまう。

この場合、「チェストボイスの高音域を軽めに出す練習」と「ファルセットにせず、声帯を強く閉じてしっかりしたミドル、ヘッドボイスを出す練習」が必要になってくるわけですが、どっちから攻めた方がいいかは人によるので非常に難しいところである。


・全体的に引っ張りすぎで、ヘッドボイスが出せません状態

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自己流な感じで張り上げ気味に高音を出しているとなりやすい。

男性だとA4とか女声だとD5とかまで(要するに、J-POPカラオケなどでの一般的な最高音)あたりまでは出るんだけど、それ以上が全然出せない、裏声にするのも苦手、みたいなタイプ。

こういう場合は、とにかくチェストボイスやミドルボイスが重すぎなので、全体的に軽い声質も出せるようにならないと、喉にも悪い。


・出ることは出るけど、裏返っちゃいます状態

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…実は私がこれなんだ。

ちょっと軽めの声質の人や、本来の適性よりも低音を頑張って出している人とかに多いかも。

上二つの図のような症状を治そうとすると、経過的にこの状態になることも多い。

一応チェストボイスもミドルもヘッドも出せるけど、チェストボイスとミドルボイスの間に落差というか温度差があって、どうしても高音で「裏声感」が強くなりすぎちゃうタイプ。

こういう場合は、「チェストボイスを軽くする」方向か、「ミドルボイスをしっかり重めに出す」方向で調整しなければいけませんし、どっちのアプローチが効果的かはやっぱり人による。


・低音域が薄すぎます状態

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女性にたまにいる。(特に、声の高くて軽い人に多いかも。)

男性にも、ここまで極端では無いとはいえ稀にいる。(男性の場合むしろ声が低めの人に多く、妙に声量の無い人に多いタイプがこうかな。)

高音域には特に問題がないんだけど、とにかくチェストボイスが細くて小さくタイプ。

で、普通の人が「高くてキツイなー」と思うような音域を出させると、急に元気になったりする。

こういうタイプも、「三種類の声を上手く使えている」とは言えないので、要調整。

チェストボイスを鍛えてやると、チェストボイスが良くなるのはもちろん、ミドルボイスにもヘッドボイスにも声量やパワーや艶が増してくると思います。



まとめ


こんな感じでいくつか図で示してみましたが、実際には千差万別というか、人それぞれ別々な問題を抱えている状態だと思います。

モデル通りの問題を抱えているっていう人は、そうあるわけでもなし。

しかし、だいたいの傾向をつかむヒントにはなるかと思います。


闇雲に練習する、闇雲に高い声を出そうとすると、あんまり練習の効率が良くない上に、喉にダメージを与えたり、変な癖をつけてしまったりするので、こういう考え方を元に

「どこが、どのように上手く行ってないのか」

をしっかりチェックして、対策を立てましょう。


具体的な練習法はそのうちメモするかも。



おまけ


少し前にホッテントリになってた記事。


トップアーティストたちの声域を比較


…まあだいたい平均的には3オクターブくらいで、それ以上の連中は計測方法がおかしいか、もはや人として何かがオカシイような気がしないでもない。



余談1


男性がある程度歌い込むと、だいたい

「全体的に引っ張りすぎで、ヘッドボイスが出せません状態」

「出ることは出るけど、裏返っちゃいます状態」

に二極化してくる。


で、さらに練習して三声区が滑らかに繋がるようになっても、なんとなくどちらか寄りになっちゃうように聞こえるんだよね。

たぶん生得的な適性とかあるんだろうなーと思う。



余談2


私は高校の頃から少し合唱やってたんだけど、そこではどちらかと言えば

・トップテノールは「出ることは出るけど、裏返っちゃいます状態」タイプの人間がやるもの

という風潮だったんだよね。

トップテノールはとにかく軽く柔らかく出せ!絶対に地声で引っ張るな!みたいな。

で、そこでは私はトップテノールやらせてもらって、「あれ、俺才能あるんじゃね?」みたいに思ってました。


しかし、大学に行って合唱サークル入ったら、

・トップテノールは「全体的に引っ張りすぎで、ヘッドボイスが出せません状態」タイプの人間がやるもの

という風潮だったんだわ。

とにかく高い声(G4、A4あたり)を太い声質で大きな声量出せるのが偉い!みたいな。

…で、そのギャップで私の発声は一時ぶっ壊れました。

パートもテノールとバリトンを行ったり来たりして、「俺には何ができるのか…何もできないのか…」と自信喪失して。

今日書いた記事のような知識があれば、ぶっ壊れることもなく上手く適応できたろうになー…と、今でもときどき悔しく思います。



余談3


昔はあんまりこの辺のノウハウが日本全国的になかったせいか、高音ボーカルと言えば、一部の「本物」を除いたら「全体的に引っ張りすぎで、ヘッドボイスが出せません状態」タイプの人がやるもんでしたね。

うるさいし、下手さというか粗さを感じるけれど、高音出せるのはこいつしかいないから仕方ねえか的な。

で、しばらく歌っては、喉を壊して消えていく、みたいな歌手も多かった。


しかし最近は、「とりあえずミドルボイス、ヘッドボイスが出せる状態にはできる」ノウハウが蓄積されてきて、「出ることは出るけど、裏返っちゃいます状態」タイプの人が高音ボーカルやってることも多いなーと感じます。

確かに楽に高音出せてるんだけど、ちょっとパワー不足とか小手先感とか感じるよなー、みたいな。

で、生バンドで歌うとボーカル消えてたり、録音と全然違う感じになったりねー。

ロキ○ン系とか最近わりとみんなフニャフニャしたミドルボイスでフニャフニャ歌ってるじゃないですか(偏見)。


どっちがいいかは好み次第か。

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