滑舌について前回は書いたわけですが、「音楽」「歌」における「滑舌の良さ」ってのは、話が少々難しくなります。
とっても大事だけれども、それだけを考えてもどうしようもない感じ。
そもそも、歌い手に滑舌の良さって必要?
先日、私、ロックフェスティバルに行ってきました。
7月にはJOIN ALIVE、そして8月にはRISING SUN ROCK FESTIVALの二つですね。
主なお目当てはチバ(The Birthday、The Golden Wet Fingers)とタイジ(THEATRE BROOK)だったのですが、いやー、楽しかった。
朝から晩までロックンロールに溺れる体験!
年に一度のアウトドア!
屋台!多種多様な飯!屋外ビール!
テンション上がらないわけがないですねー。
で、ロックフェスみたいな屋外ステージで、しかも観衆みんなで「モッシュ&ダイブ」な環境ですと、まあぶっちゃけ歌詞なんて聞こえませんわな。
もちろん、ボーカル一本で勝負!みたいなアーティストの場合はそれ用のセッティングにはなるのだけど、やっぱりCDに比べれば7割くらいしか言葉が聞こえてこないかなー。
普通のロックバンドスタイル(何が普通かは難しいところだが)だと、それこそ初見で歌詞を聞き取るとか無理ゲー状態。知ってる曲でも危うい。
でも、何言ってるのかわからなくても、みんな盛り上がる。
何言ってるのかわからなくても、それ以上に伝わるものがある。楽しめるものがある。
何言ってるのかわからなくても、特に「音楽的価値」が下がったりはしないし、「伝えたい『何か』が伝わってない」なんてことは無いわけです。
※もちろん、そういうのが嫌で音楽はCDで楽しみますライブ行きません、みたいな人もいるけど。
滑舌の良さが必要な場合と、そうでもない場合がある
歌手にとって、「何かを伝える手段」として「歌詞」というのは非常に大切ですね。
だから当然、「滑舌の良さ」や「言葉の明瞭さ」というのはあったほうがいいに決まっています。
しかし、歌手にとっての「何かを伝える手段」って、それだけでは無いわけです。
音楽(リズム・メロディー・ハーモニー)自体も「何かを伝える手段」ですし、声質や細かい歌いまわしなどの「表現」と呼ばれるものや、さらには「表情」や「動き」だって「何かを伝える手段」なわけです。
どちらも、というか、どれも大切であって、「何を優先するか」が大切ですね。
で、これらの要素ってのは、必ずしもトレードオフになるとは限らないけれども、「あちらを立てればこちらが立たず」状態になることは非常によくあります。
この辺に関しては昔からよく考えることがあって、昔ブクマした記事では、作曲家の長谷部雅彦氏がこんなこと書いてました。
合唱演奏で伝えたい何か: アルス・ポエティカ〜音と言葉を縫いつける![]()
皮肉なことに歌詞の内容を直接的に伝えようと思えば思うほど、歌詞は音楽に乗せないほうが効率が良くなります。ありていに言えば、話したほうが良く伝わります。
もちろんセリフやナレーションの入った合唱曲もありますが、そういうのはむしろ演出付きの傍流ものというイメージは強い。実際には多くの邦人合唱曲が、ある程度のストーリー性を持った詩においても、普通に音楽が付けられ、聴衆に良く理解されないまま歌われているのが実態ではないでしょうか。
ここで私が言いたい点をまとめれば、ロジカルで具体的な内容を伝えるには、音楽に乗せないほうが分かりやすく、逆にエモーショナルな漠然としたイメージを伝えたいときは音楽に乗せたほうが聴いた者を高揚させるということです。
音楽的効果を求めてハモリを重ねまくったり、パート間で言葉をずらしまくったり、メロディーをダイナミックにしたり複雑にしたり、リズムを極端に速くしたり遅くしたり…なんてことをすれば、「言葉」が聞こえなくなるのはある意味当然。
これはもう構造上の問題だから、「滑舌」レベルの個人的ミクロ的な努力じゃどうにもならないことも多い。
合唱じゃなく、それこそロックフェスで歌われるようなポピュラーミュージックでも上記のような問題は同様に出てくるし、更には「声をどのくらい加工するのか」とか、「どのくらいシャウト的な歌い方をするか」とか、そういった要素も「やればやるほど『何か』は伝わりやすくなるけど歌詞は聞き取りにくくなる問題」として現れますね。
だから、
「何をどのように伝えたいのか」
「そのために最適なバランスはどうなのか」
というのを、歌い手は常に考えなければいけませんね。
ロックフェスで「何を言ってるんだかわからないバンド」も、各種音量のコントロールやボーカルの加工(できるだけボーカルはエコーとかかけずに素直に作りつつ、子音は立つようにその辺の周波数帯強調して、かつ周りの楽器はその辺の周波数帯をできるだけカットするなどなど)をした上で、ボーカルには「滑舌最優先」で歌わせ、編曲もそのように(歌詞の聞き取りやすいスピードに変更、歌詞をそれ以外の動きが邪魔しないアレンジ等々)すれば、技術的には「何言ってるかはわかるバンド」にはできるはずです。
しかし、それをやってもあんまり意味無いわけです。
私も「歌に滑舌は不要だ!」と主張したいわけではありません。
色々な動きを抑えてでも、歌詞をしっかり聞かせたいときもありますし、そういうときには「言葉の明瞭さ」って生命線になりますからね。
また、「何を言ってるんだかわからないバンド」でも、100%歌詞を聞かせない・聞こえないというわけではなく、「ちょっと聞こえてくる印象的なフレーズ」が、ライブ会場の一体感をつくり上げるために大事だったりします。
演者も観客も色んな意味で大暴れの中、歌詞の中の特別に印象的なワンフレーズを聞かせる…ってのも、けっこう高度な発音技術がいるわけでして。
そんな感じで、滑舌ってのは「最低限」はなくてはならないものですし、あったらあっただけ便利なものですが、「滑舌さえ良ければ、伝えたいように伝わる」なんてことは無いな、というのは大事なことなのでたまに思い出しておきたいですね。
具体的にはどう考えるか
上の記事をさらに引用すると、
●例えば「大地讃頌」のような曲
ベタな例ですいませんが、誰でも知っている邦人合唱曲の名曲。これこそ合唱の基本的な力を効果的に表現できる希有な曲といっていいと思うのです。以前この曲について書いた記事はこちら。
この詩の持つ壮大なイメージには本当に圧倒されます。大地こそ人間の恵みの源である。その大地を愛そう、というメッセージは極めて普遍的で、動物としての根源的なパワーを刺激してくれます。
そう、このメッセージはロジカルなものでなく、政治的主張でもない、内容の具体性は欠けるけれどもエネルギー密度の高い感性の奥底に直接訴える強さがあります。
どんなに言葉を尽くしても、この曲では一言「母なる大地」という言葉を連呼するだけで、歌う側、聞く側にエモーショナルな感銘を与えることが出来ます。
このとき、歌詞を一字一句伝えるべき、と誰が考えるでしょうか。もちろん言葉は明瞭なほうが良いけれど、むしろ追求すべきはこの曲の持つ壮大さ、荘厳さをどのように声楽的に表現するかであり、迫力のサウンドこそこの曲にふさわしいと感じます。
●物語系
さて、上記の例と対極にあるのが、テキスト自体が一つのストーリー性を帯びているような楽曲の場合です。
仮にこのテキストに起承転結のような起伏があったとします。そうすると、音楽もこの流れで作られることになるわけですが、音楽の「転」の箇所にはテキストの「転」もあるわけで、この箇所のテキストをきちんと伝えないと、ストーリーが聴衆に伝わりません。
ここでは絶対的に歌詞を伝えることが必要になります。
と、まあ、大雑把に言えば
「ワンフレーズ」タイプの歌と「ストーリー」タイプの歌
があるわけですねー。
(上のブログでは宗教曲「ハイコンテクストタイプ」も紹介されてるけど、ここでは省略。)
とにかく印象的なワンフレーズだけは「言葉」として客と共有して、細部は総合的に「なんとなく雰囲気で」伝えるのか。
もしくは、きっちり全歌詞を「言葉」として客と共有して、そのための「音楽的工夫(をむしろ減らして、極力「話し」に近づける)」をするか。
この辺の選択が必要ですね。
で、それに応じたエネルギーの配分というのが、なにより大切になるわけです。
歌詞の「滑舌」を優先するのか、それとも「滑舌」を多少犠牲にしても他の要素に注力するのか。
音楽の精巧さを追求するのか、歌詞の正確さを追求するのか。
「一文字一文字の正確さ」を追求するのか、「それっぽい雰囲気」を追求するのか。
音楽のオマケに歌詞があると考えるか、歌詞の威力を最大化するために音楽があると考えるか。
これがちょうどよいバランス!なんて一言で示せるわけがなくて、多分どんな歌い手も一生考えていかなきゃならない問題だと思うけれども、たまにじっくり考えていきたい。
余談
今回のロックフェスで私がお目当てにしたチバもタイジも、どっちかというと「ワンフレーズ」タイプですね。
そもそも紙に書いた歌詞を読んでも意味わからんし、いわゆる「起承転結」とかそもそも存在しないことがほとんどなので、全部の歌詞をはっきりと聞かされても、そもそもよくわからんのだけども。
それでも、バンドサウンドの中で、あの声で歌われると、すごい感動する。
歌詞は意味わからんし、ある意味「ワンフレーズ」でしか届いてこないんだけど、その「ワンフレーズ」がフックになって「歌詞以上の広がりを持った何か」が心の中に叩き込まれる感覚がある。
音楽って、ライブって本当にいいなあ、と思う瞬間です。
「ストーリー」型の歌をよく歌う…、例えばBUMP OF CHICKENとか、すごいですよ。何年も前のRSRで一度見ましたが、すごかったですよ。
独自の世界を創りあげられるくらいの、歌詞のストーリーの強度が、まずすごい。
歌をきっちり「物語」として成立させてる。
その「ストーリー」を「歌・音楽」として聞かせられるようにするには、その歌詞自体を上手く伝えられるような歌い方の工夫、音楽的な工夫が必要なわけでして、それができるのがまずすごいなあと。
それでいて、「ワンフレーズ」的な聞き方をしても、きっちり要所で「刺さるフレーズ」があって、それが「刺さる歌い方」になっていて、やや激しいライブ的な演奏・聞き方をしても大丈夫なんですよ。
この辺のバランス感覚は見習いたいなーと思います。