さて前回は非常に大雑把に発声法の歴史を紹介しましたが、なんだか素人ボイトレ界隈ではそういう知識が
「部分的にのみ伝わってたり」
「文脈や前後関係を無視して伝わってたり」
するせいで、よくわからない感じに迷信化していることがあったりなかったりします。
その辺の話をしたら案外盛り上がったのがこの記事だったり。
社会学者が合唱コンクールについてつぶやいたら炎上したので。 - 烏は歌う
今回は、私の個人的な偏見で、そういう「ありがち」な勘違いについてチョイスして羅列してみる記事。
かつて書いてきた内容と被る部分が多いとは思うけど、改めて。
「頭声」の方が「胸声」より良い声である
「ヘッドボイス」や「チェストボイス」より「ミドルボイス、ミックスボイス」の方が優れた声である
そんなことはなく「適材適所」で考えるべきなんです。
それぞれに得意な音域、得意な表現がある、というだけの話で、声区に絶対的な優劣とかないから。
もちろん、全部使えれば表現の幅も広がりますし、全部の声区を使うためにはテクニックも磨かれるので、全部を練習するのは大切です。
また、「頭声」とか「胸声」とかいう言葉が持つ意味というのは時代とともに大きく変わってきたので、これらの言葉を使って話をする前には、それなりの共通認識をとる必要があります。
そういう意味でも、「頭声」と「胸声」を比べると云々というのは簡単に言えることではありません。
私が思っている「頭声」と、別の誰かが思っている「頭声」という言葉の示すものが同じとは限りませんので。
日本の音楽教育界隈には「頭声的発声」という実に迷信的な言葉があって、それが平成10年までは学習指導要領に書いてあったくらいメジャーだったのですが、流石に「意味不明な言葉過ぎる」ために修正されました。
目標には明確な言葉を置くべきなのに、「頭声」とかいう定義があやふやになりやすい言葉に「的」までつけちゃうのがダメな意味で実に日本的というかなんというか。
しかし未だに「頭声的=善」「胸声的=悪」みたいな思い込みを持っている人ってけっこういるので、気をつけましょう。
○○(身体の特定の部位)に当てる声が良い/悪い
これもやっぱり「適材適所」で考えることが必要。
科学的に「○○に当てる声」を解明したフースラーは
「特定の当て方にこだわってはいけない!まんべんなく練習することで、筋肉のバランスを取り戻すんだ!(意訳)」
と言っているんですが、何故か「当てる場所」のことばっかりが広まって、そういう基本的な考え方が伝わっていないことが多い模様。
むしろ、フースラーが害を指摘した「偏った当て方へのこだわり」を育てている場合が多い模様。
「頭声的発声」なるものの実現のため、
「胸や下顎など、低い位置に当てる声は悪声!」
「眉間や頭頂部や後頭部に当てる声だけが正しい!」
…みたいな古めかしい上に色々と間違っている指導が横行してたりもするので気をつけたいところ。
また、現代ではもはや「声を特定の場所に当てるイメージ」に頼りきった発声指導は完全に時代遅れ気味である(伝統には伝統で価値はあるけど)。
もちろん、とりあえず「そこそこ粗が見えず」「合唱などでとりあえずそろえやすく」「短期的には喉を痛めにくく」「あくまでイメージの話なので指導が簡単」という意味で、そういう当て方の方が必要とされる場合が多いことは確かなんですが、それしか知らないのはダメよねえ、と。
(身体の)○○がよく振動しているから、良い声である
「声を当てる場所」を変えるという感覚は、「実際に声が特定の部位に当たるわけじゃなく、そういう意識によって起こる筋肉のバランス変化のせい」であるというのが今や一般的な考え方。
しかし未だに「頭声的発声」なるものの影響のせいで、胸や頭や眉間などに手を当てて
「声を出しながら頭を手で触ってみたら、よく振動しているから良い頭声である」
「頭に手を当てて振動を感じないからこれはヘッドボイスではない」
…みたいな指導が未だにあるらしい。
まあ、「※あくまでイメージの問題です」という認識を持ってやる分にはそれはそれでいいのですが。
「頭声的発声」をするために、「頭に手を当てて、そこを振動させるイメージで発声する」こと自体は無駄なトレーニングではないかもしれないけれど、そこに振動を感じたことが何か良い兆候を証明するわけではないのである。
近くで道路工事をしてたら、ちょっと離れた場所で色々なモノに振動を感じるだろう。
実はそれだけのことなんだ。
大事なのは、声帯の状態と、共鳴させる空間(声道)の形。
共鳴腔は、大きければ大きいほどいい
程度問題です。
大きければ大きいほど良いってわけじゃなく、適切な大きさや整った形であることが重要っぽい。
極端な例を出せば、「アコースティックギターのボディの体積を2倍にしたら2倍ほど良い音になるか」って言ったら、そんな単純な話じゃないのはわかるでしょう。
ある程度ボディを大きくすれば低音はよく鳴るようになるし音量も少し大きくなるだろうけど、いわゆるキレや華やかさ(高音の響きとかレスポンスとか)は無くなっちゃうし。
さらに大きくしすぎれば、とてもじゃないが人間の身体では扱えないものになってしまう。
これは人間の共鳴腔、声道でも同じことです。
ある程度の大きさは必要だけど、大きくしすぎれば変な響きが混ざってきちゃうかもしれないし、美味しい音域が響かなくなるかもしれない。
また、大きくしようしようとして変な力が入ってしまったり、形が歪んでしまっては元も子もない。
「喉頭の響きを使おうとしすぎて、喉仏を下げすぎて発声に障害が出る」
「鼻腔共鳴を全力で使おうとして、母音が歪む」
…あたりの失敗はもはやアマチュア合唱団ではテンプレである。
共鳴腔を広げるために、表情筋が大切である
ある程度は正しいけれど、表情筋を操作することによって「直接」共鳴腔を広げることができるかというと、それはほとんどできない。
もちろん、眠たそうな顔で歌うよりは、目や鼻を見開いて歌う方がマシな場合が多いけど。
「表情筋を操作することで、イメージを操作することによって軟口蓋を上げる」
※口角を上げる筋肉だけは軟口蓋を直接的に引き上げる作用があるが、ここを固めてしまうと表現の幅が非常に制限されてしまうためこの筋肉を使うのは「いざという時」に限ったほうが吉、その他の筋肉には軟口蓋を直接上下させる働きは無い
「表情筋を操作することで、咽頭(のど)から意識をそらし、咽頭の力が抜けることに期待する」
※対になっていて「片方が緊張すれば逆側が弛緩する」という関係になっているわけではないので、あくまで「意識をそらす」「あるところに全力で力を入れると、他のところに力を入れにくい」程度の働きでしかない
…というのが実態っぽい。
なので、上手く使えばある程度の効果はあるんだけれど、あくまで間接的で抽象的なトレーニングなので気をつけましょう。
また、「絶対にやらなきゃいけないこと」ではないし、手段と目的が逆転してはいけない。
鼻腔共鳴をたくさん鳴らすことが大切である
この前記事書いたけど、
・軟口蓋が上がるとむしろ鼻腔への道はシャットアウトされる
・しかしその「軟口蓋が高く上がって咽喉上部の共鳴をよく使えている状態」では、鼻腔や前頭部などに「振動を感じる」(感じるだけ)
・本当に鼻腔に強く共鳴させちゃうと、軟口蓋が下がって「鼻音」「鼻にかかった声」になってしまって母音が濁るし、発声全般に悪影響が出やすくなる
…という話。
ちなみに、いわゆる「胸に響く声」も同じような感じ。
実際に共鳴するわけではないっぽいし、その共鳴が何かいい効果を生んでいるわけではない。
腹式呼吸が大事なんだから、胸はピクリとも動かしてはいけない
これも、いつのまにか目的と手段が逆転しやすいので注意。
「腹式呼吸」が大事と言われる理由は主に2つあって、
・長く、細く、一定の量の息を吐き続けるには腹式呼吸の方が向いている
・腹式呼吸の方が、肩や首、そして声帯まわりの筋肉を力ませにくい
というもの。
で、「腹式呼吸が大事」ってのは何も間違っていないんだけど、「腹式呼吸が大事なんだから、胸はピクリとも動かしてはいけない」とまでなってしまうと、逆に力んでしまうことがけっこう多い。
人間どうしても、呼吸にともなって微かに肋骨が動いたり、微かに上半身(頭の位置など)が前後したりしてしまう。
その微かな動きさえも無理に抑えこもうとすれば、それは声帯まわりの力ませてはいけない筋肉を力ませてしまうことにつながりますよね。
もちろん、オーバーな胸部の動きや肩の動きは控えるべきですが、けっこうさじ加減が難しいところ。
高い声、大きな声を出すには、大量の息が必要である
最近は
「上等な歌手は余計な息を使わない」
「如何に息をケチるか、が歌手にとって大事だ」
「肺活量なんて日常生活に困らないレベルなら十分なことがほとんど」
…というのが常識となりつつある。
まあ、大声やら高い声を出し慣れてない人に「思い切りよく出してもらうため」に、大量の息にのせて声を出してみてもらうことはときどきあるのですが、その状態のままで歌なりスピーチなりをやることはまずあり得ません。
声帯は、左右2枚の声帯の「隙間」を息が通りぬけることで、声帯が開閉運動を起こし、音が鳴ります。
声帯の細い隙間を息が通り抜けるとき、隙間を通る部分だけ息の流れが速くなり、空気の流れがそこだけ速くなることによって声帯間の隙間の気圧が下がり、左右の声帯が引き寄せられて閉じます(ベルヌーイ効果)。
そうして閉じた声帯を、気管から流れてくる息の圧力が開き、またベルヌーイ効果によって閉じ…というサイクルが繰り返されることで「声の元になる音」が鳴る、という仕組みになっております。
しかし、過剰な量の息を流してしまうと、声帯が耐えられずに「開きっぱなし」になってしまいます。
これでは、「細い隙間」ができないので、そもそも声にならず、高い声も大きい声も出ません。
逆に、少量の息でもきっちり「細い隙間」に「安定した圧力の息」を流せば、きっちりベルヌーイ効果が起きて、それを上手く共鳴させれば高い声も大きい声も出せます。
そもそも声の高さは「時間あたりの、声帯の開閉回数(振動数)」によって決まるので、いくら大量の息を流したって声帯の振動数は変わりませんよね。
声の大きさについても、声帯はギターとかピアノの弦のような「叩いて振動させる」仕組みのものじゃなく、流体力学的な動きをする繊細なものだから、単純に息の量を増やしたからといって音量が上がるとは限らないんです。